元村正信の美術折々/2019-10-15 のバックアップ(No.1)


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美術折々_234

抗い結晶するわたしたちの

いま個展をまえに作品を制作するじぶんというものが、自分以外のもの、つまり他者や約束というものから追い詰められているのか、あるいは自らを追い込んでいるからなのかよく分からないのだが。いずれにしても自己というのはあやふやなものだ。やはり自己なんて元々なかったのかも知れない。今だにだれもが、あるはずのない〈自己〉に苦しんでいるのだから。

僕もその小さなひとりだけれど。表現というものはそんな〈自己〉に多大な期待をかける。自己表現というものもそうだし、創造や想像、感性もそうだろう。そうやって、表現はつねに自己を召喚し、自己というものもまた表現に救済を求めようとする。

しかしもし、表現できない自己があり、自己など必要としない表現があるとしたら。自己と表現は、おおいなる矛盾をたがいに突きつけていることにならないか。どこまでもあやふやで茫洋とした〈わたし〉がいて、そんなわたしが〈表現〉を忌避しているとしても。だからといってそこに何も生まれないという訳ではない。

たとえ私というものがいなくても、表現と呼ばれなくとも、そこで生まれるものはいくらでもあるはずだ。
〈わたしたち〉というものは、そういうものだろう。

僕にとって作品というものも、そういう茫洋としたものでありながら晴天の霹靂のような現れとしてあればと思う。
「抗い結晶するわたしたちの」


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