元村正信の美術折々/2019-05-20 のバックアップ(No.2)


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美術折々_210

失くならない飛沫

数日前、アトリエを片付けていたら小さな鉄の破片(長さ9cm、幅1cm、高さ1cmほど)が出てきた。
それは『国際鉄鋼シンポジウムYAHATA’87』に参加していた彫刻家、村岡三郎(1928-2013)の作品「鉄の墓」の中で見つけた制作時の溶接飛沫を、そっと僕が持ち帰ってきたものだ。
(同展は1987年10月10日-11月15日まで北九州市八幡東区東田高炉記念広場[旧 八幡製鐡所東田第一高炉跡周辺]で開催され、村岡の他にイギリスのフィリップ・キング、ディヴィッド・マック、高山登、西雅秋ら国内外10名の作家が現地で滞在制作した)

もう32年前の、何ということはない鉄の「飛沫」をなぜ僕は今まで捨ても失くしもせず、身近なところに置いてきたのだろう。同展の参加作家たちのほとんどは、供与された約30トンもの鉄を巨大な塊としてまた大地から張り出し天に伸びるように巨大な「彫刻」を試みていた。だが村岡三郎だけはただ一人、古代の遺跡のように盛り上がった土の中に外からは見えない「鉄の墳墓」をこしらえたのである。

鉄の扉をあけると、そこにはひんやりとした静謐な鉄の板壁に囲まれ「アイアン・ベッド」が置かれていたと記憶する。まさに〈鉄の床(とこ)〉が、湿気、錆、塩分、それに酸素を含み交えながら非在の死者を包むようにあったのではないか。私たち生者はその「墓」に足を踏み入れれば、否応なく村岡の鉄が語ろうとする、いわば目で触れるタナトス(死)と向き合うことになった。

おそらく僕はその時の忘れがたい体験に、そこで偶然みつけた鉄の飛沫を、村岡三郎の〈忘れもの〉として持ち帰ったのだと思う。かつて建畠晢はその「鉄の墳墓」のことを「異様な闇が充填されている」(『深くは眠らぬ人よ』美術手帖1991年5月号)と記している。その通りあの鉄鋼シンポジウムの中で、村岡三郎の「作品」はゆいいつ、最もすぐれて異物であり異形の「鉄鋼」であり、何よりも墳墓であった。1987年日本バブルが高揚していく時期に、もしかしたら村岡三郎は製鉄の町・北九州市八幡で、その泡沫の崩壊を〈死〉をいち早く感じ取っていたのだろうか。


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