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美術折々_193
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では
問い詰めるもの
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いまでは「絵画」というものは人間が、画家が描くだけのものではない。AI(人工知能)にだって描けるものとなった。それでも何が絵画で、何が絵画ではないのか。この両者を分け隔てるものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。どんな誰が描いても絵画になり、また描かれていなくても絵画になりうる。
いまでは「絵画」というものは、人間が画家が描くだけのものではない。AI(人工知能)にだって描けるものとなった。それでも何が絵画で、何が絵画ではないのか。この両者を分け隔てるものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。どんな誰が、モノが、描いても絵画になり、また描かれていない空白さえ絵画になりうるとしても。
その「作品」がどれほど傑作といわれ、あるいは駄作であろうと。突き詰めればおそらく、〈絵画という形式〉しか残らないのではないだろうか。絵画という〈形式〉を喪失したところに、なおも〈絵画〉はありうるのだろうか。
その「作品」と言われるものがどれほど傑作といわれ、あるいは駄作といわれようと。突き詰めればおそらく、〈絵画という形式〉しか残らないのではないだろうか。絵画という〈形式〉を喪失したところに、なおも〈絵画〉はありうるのだろうか。
絵画は、ただ「描き、描かれたもの」によって成り立つのだ、その「内容」なのだと言われるかも知れない。だが、それを支持し沈殿させるものこそ絵画という〈形式〉なのだから。だからこそ形式は「描く」ということを、たえず問い詰めているのではないだろうか。
「描くこと」のみを、盲信してはならないのだ。
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