元村正信の美術折々/2019-02-02 のバックアップソース(No.1)

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美術折々_190

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幸福の丘という響き

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中国出身で韓国・ソウルを拠点に活躍する映画監督チャン・リュルの新作『福岡』が、2月7日から開催される第69回ベルリン国際映画祭 フォーラム部門に公式招待されワールドプレミアムで初公開される。

この映画はタイトルのとおり福岡の街を舞台に、昨年3月末から4月初めに13日間滞在し、福岡市内の西中洲、天神、大名界隈などで、台本なしで撮り上げたという作品だ。大学時代の親友だった二人の中年男(クォン・
ヘヒョとユン・ジェムン)が、女を巡る絶好を経て20年振りに福岡の居酒屋で再会する。そこに一人の若い女(パク・ソダム)が絡みながら彼らの過去の行き違いから、わだかまったままの現在へと至る隔たりが少しづつ解けていくという話。

チャン・リュル監督が、韓国と福岡を行き来するようになってすでに10年以上が過ぎたそうだ。
彼がここ「福岡」をどのように見てきたのか、おそらくこの映画を見れば分かるだろう。それがたんなる “ご当地映画” か、それともロードムービーならぬ極東の片隅で見いだされた「ストリート」ムービーになり得るか。

じつはこの作品の中で「屋根裏貘」も使われている。親不孝通りでも撮影されたが、「貘」はチャン・リュルも気にいっている空間のようだ。しかしなんとも無残なのは、現在の親不孝通りである。昨年7月のポプラ並木の伐採から今年1月の新たな舗装の完成までを、チャン・リュルは知らないはずだ。少しよごれ気味で年季の入ったでこぼこの舗道と、雨の水溜りに映る大きなポプラ並木越しの光と影も、すべて消え失せ、ただ真新しいだけのフラットで何の魅力もない歩道になってしまった。夜の汚され方だけはそれでも変わらないが。

いったい何が「明るく開放的になった」というのだろうか。たしかに平らで歩きやすくはなった。でもなぜ、
樹齢を重ねおおきく伸びどっしりとした街路樹がつくる陰影や表情を、残し活かせなかったのか。都市計画
というものの、誤った “ 未来図 ” が悔やまれる。いまのこの殺伐とした「福岡」の通りを、チャン・リュルが見たら何と言うだろうか。こんな通りを絵に使おうとしただろうか、映画に撮っただろうか、と僕は思う。
とにかく無残としか言いようがない光景が広がっているのが、味も素っ気もない現在の親不孝通りなのだ。

チャン・リュル監督が、「幸福の福に、岡(丘)という響きが美しい」と語ったという「フクオカ」は、この街は、通りは、路地は、いまもその響きに値する都市といえるだろうか。それは幸福ではなく親 “ 不幸 ” という名の通りとなってはいないだろうか。
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▲貘にてオーナー 小田満・律子夫妻とチャン・リュル監督(2017年7月のロケハンで)