元村正信の美術折々/2018-12-25 のバックアップ(No.1)


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美術折々_183


芸術への離脱


ますます美術も芸術も遠く古典にありて想うもの、といってみたくもなる自覚なき現在の芸術の衰弱ぶり。その一方で、空洞だけが流通するようなアートが賑わってやまない。完全自由化されたこのグローバルで強大な市場原理や経済原則によってのみ価値評価され流用される「表現」ばかりが、そうやってもてはやされ拡大していく。これが芸術の拡大、拡張、拡散の果てにたどり着いたものたちの華やかな光景というものなのだろうか。どうしてもそんな現在に異和を抱く僕のような人間にとっては 詩人 パウル・ツェランが 58年前、1960年に『子午線』と題する自らの講演のなかで語ったあの言葉が、なおも鋭く迫る。「芸術を拡大する? いいえそうではありません。むしろ、芸術をたずさえて、もっとも緊密に自分のものである道を進め、そして自分を離脱させよ、なのです」。たずさえて、離脱させよ、と。私たちはいまだ、ツェランが言うように〈迷い込んだ目のなか〉にいる。ここで目を「芸術」と言い換えてもいい。内部、その迷いの渦中にいながら、それをたずさえて離脱させよ、というこの難問。そこには問われるべき「芸術」こそが、現実を非現実的に超克することができるかも知れない〈異質なもの〉としての、唯一の望みが語られているように僕には思われる。
 フィリップ・ラクー = ラバルトが、ツェランを読み解きながら「異質性をたえず『異質化』しつつづけるもの」、「いかなる支えもなしに、支えている」と言った〈芸術〉というものの核心。結局、私たちは芸術の拡大、拡張、拡散の果てに、芸術をアートの名においていっそう曖昧にすることはできたが、はたして芸術を〈芸術へと〉飛躍、離脱させ得たといえるだろうか。

逆に、芸術から解放されたアートは、新自由主義に符号するようにグローバルに膨張してきた。1995年、国際資本が国境を自由に越えることが可能になったように、芸術もまた芸術なき自由化の時代に突入したのだたった。それが「現代美術」崩壊後の、この20数年間の芸術の皮肉な成果だったのである。「現代美術」の崩壊を、否定的契機にできなかった芸術というものの負債。

だがそれでも芸術には、まだ見ぬ〈芸術へと〉離脱しょうとするその不可能性に向けて、だれ知られることなくこの世界のどこかで、ひとり孕まれているものがあるのではないだろうか。やがて2018年も暮れて行く。だからといって、たとえ一夜が明けたとしても2019年が劇的に変わる訳ではない。そう、またしても悲惨、惨劇として世界は日々明けては暮れることだろう。それでも私たちは、ほんとうに悲劇を待ち望んではいないのだとしたら、いつかぜひその知らせをこの耳で聞き、この目で見たいものだ。