元村正信の美術折々/2018-08-01 のバックアップ(No.1)


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美術折々_160


〈未来〉に値するもの



先月末、博多駅からJR鹿児島線に乗って北九州市立美術館に行く途中、再整備工事中の同市の折尾駅の高架上から
気になって撮ったのが下記写真の右側のもの。車窓からの眼下には、煉瓦を積み重ねて作ったような幾つもの直方体
の塊が無造作に置かれていて、一見まるで採石場から切り出された巨大な石の塊のようだった。そして左側の写真は、九州工業大学のサイトで見つけたものだ。現在、同大の戸畑キャンパス内にはその解体切断された中のひとつがコンクリートの台座の上に、あたかも彫刻のように近代化遺産の一つとして保存展示されている。

でもこれは単なる塊ではない。その、「彫刻」と思えるほどの量塊。つまり小さな赤煉瓦が規則的に積み重ねられ接合された充実体としての量塊が、切断面も生々しく露呈していたのである。これに比すれば、インスタレーションなどという手垢のついた言葉や安易な表現など、軽く吹っ飛んでしまいそうだ。

そのあと色々調べると、この折尾駅が日本初の立体交差駅であることを知った。その際の橋梁のかさ上げに赤煉瓦を
使ったのが、この切断された塊の元の姿ということになる。これが1895年というから、今から120年程まえの立体交差化のためにそれが使われていたことになる。明治28年当時、いったいどれほどの煉瓦の数が、それらを接合する技術が駆使され、そして人が動員されたのだろう。

ここ折尾駅の鉄道の交差は、日本近代のエネエルギーの基幹となった八幡製鉄と筑豊の炭鉱という「鉄と石炭」産出のための、文字どおりこの二つが〈交差する地点〉だったのだ。そしてこの鉄路を支えた巨大な土台も、いま日本近代と決別するようにこうして解体され切断され剥き出しになって、消えさろうとしている。

「煉瓦」の製造そのものも、日本近代が西洋から受容したものだ。だがその製造や大規模な構造物もまたこの現在に
よって駆逐されようとしているのである。近代の終わりとは、このようにして私たちが営々と積み上げてきたものの
解体を、次々と容赦なく転換して行くのだ。でも僕には、それに変わる新しい「現代」があるとは思えない。

近代の喪失と、現代の崩壊の先にあるもの。そんな時代に、私たちが過去の〈遺物〉として廃棄しあるいは保存したものは、自然な強制が自由という名で横行する時代に抗するもっと別な力、いわば〈異物〉としての自らの存在、その力よってこそつねに生まれ変われるはずなのだ。それが〈未来〉というものに値するものの、ひとつではないだろうか。