元村正信の美術折々/2018-04-24 のバックアップ(No.4)


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美術折々_143

見ることの可能性と不可能性 (4)

ではいったい、なにが「芸術」と「芸術ではないもの」とを分け隔てているのか。いやむしろボーダーレスな
現在だからこそ、その境界を、分け隔てているものを、超えて行けばいいのだという考え方があるのを、僕も
知らない訳ではない。

おそらく「芸術」という領域にこだわらなければ、芸術を無化してしまえば、どこへでも行けるし何にでもなれる。自由になれる。だがそこでは、藤枝晃雄が28年前に言い切ったように「あらゆるものが芸術になるという
ことは、実にすべてのものが芸術にはならない」(『現代芸術の状況』)という世界が出現することになる。2018年の、この現在というのは、きっと現実としてこのような光景が広がっているのではないかと僕は思って
いる。もちろんいまでは「芸術」ではなく「アート」と呼ぶが。

「アート」と名の付くものと異分野とのコラボや賑わい。そしてそのような活況あるいは活性化への期待は、
芸術に「関心なき」ものの「アート」体験への大いなる誘いである。「アート」という親しみやすさ、親近感や参加型体験をうたう誰でもアーティストの時代。一方で「芸術」というものを勝手に高尚なものとし、近寄り
がたさやその精神性を強調して見せる。いまでは美学者でさえそう公言する人もいるほどだ。

「アート」と「芸術」を巧く使い分けながら、《芸術》そのものを問おうとしない。ボーダーレスと言いながらアートを分かりやすく囲い、「芸術」を疎み退けようとするのである。それがいわゆる芸術の「緩和・拡大」へとつながっているのだ。この「緩和・拡大」のことを美術家の森村泰昌が、4年程まえの自著のなかで分かりやすい解釈を披露してくれているのでここに引いておこう。

「『美術』のかわりに『アート』というカタカナ三文字がとってかわろうとしている。『美術』から『アート』へ。この美のカジュアル化現象は、もうあと戻りが難しいのかもしれません」。そして、「私はこうした旧来の芸術の枠組みをとっぱらった動向を、『芸術における規制緩和』と呼んでみたいと思います」。 
( 『美術、応答せよ!』 筑摩書房、2014 )

要するに森村泰昌は、カジュアル化したカタカナの「アート」というものを、「芸術の規制緩和」によって出現するものをあたらしき「自由な世界」として肯定的にとらえているようだ。ただここで森村の言う「規制緩和」や「旧来の芸術の枠組みをとっぱらった」後に現れるものが、そのまま「アート」なのか、それとも芸術の枠組みを撤廃した自由な「アートなき」世界なのか。はたしてそのどちらなのだろうか。たとえ「芸術の枠組み」というものがあったとしても、固定的であったことなどかつてあったのだろうか。

何度も言うように、いまだ「美術/芸術」というものは定義しえない。しかしなぜ芸術の領域が、ことのほか鋭利な「感性」そのものを表現の根拠として必要としてきたのか。歴史上の様々な「技術」とは異なる、「美術」
あるいは「芸術」という領域をなぜ必要としたのだろうか。おそらくそれは《芸術》でなければならない何か。先鋭的な否定や問いがあったからだと思える。

見るという、踊るという、歌うという、奏でるという、何かを刻むという、自らの手で感性それ自体の〈声〉を自律させんがために、それを鋭く研ぎ澄まそうとする衝迫と向き合ってきたからではなかったのか、延々と。

もしそのような行為のどれもが「芸術である必要がないのなら」。私たちは「芸術を捨て去ればよい」のだ。
芸術の〈遺産〉ならいくらでもこの世界にはある。「アート」を問わないまま、「アート」へ逃避することは、たやすい。「アート」と「芸術」を巧く使い分け上手く行けば、ひと財産ができるかも知れない。社会的地位や名誉も力も降って来るかもしれない。

でも一体、いつどこでなぜこれほどまでに「芸術」は置き去りにされようとしているのか。煩わしくも疎まれているのか。それでも「芸術」は、「感性」は、抵抗することによって結晶しなければならないはずだ。でなければ、《芸術》は過去だけのものとなってしまうだろう。僕はいつもそう思っている。

〈見ることの可能性〉とは、すでに「見る」ことが崩壊した後の可能性であり、その〈不可能性〉とは、いまだ「見る」ことが達成されてはいないことの不可能性のことなのである。これは、すくなくとも「芸術」への
終わらない答えのない問いなのです、僕にとっての。