元村正信の美術折々/2018-02-23 のバックアップ差分(No.1)


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美術折々_133
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『沈黙の海』という水
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Facebookを色々見ていたら、 IT系ネットニュースサイト『ねとらぼ』という 2017年10月22日付 記事(黒木
貴啓:記)に、たまたまたどりついた。

それは鹿児島市にある「かごしま水族館」の展示施設の中にあるひとつの「水槽」を取材したものだった。その水槽とは、『沈黙の海』と題された縦130×横110×奥行き12cmの、けして大きくはないが水のみが満たされたガラスの向こうは青一色の水槽のことである。

この水槽は展示順路の終わりがけの辺りにあり、かごしま水族館のオープン時(1997年5月)からずっとある
らしい。当時展示を決めたのは水族館の設計全体にも携わった初代館長の故・吉田啓正。水族館を訪れたひとが水族館を出たあとも、海の生き物が未来でどう生き続けていくことが出来るかを考えてほしい、という思いから置くことにしたという。もう 21年もまえのことだ。よくその意志を受け継ぎ、残されているなと思う。

何もない青いだけの水槽。南の海のいろんな魚や生き物が泳ぎ、棲む他の巨大な水槽を見たひとたちは、どんな反応をしているのだろう。発光するような青さを、興味深くのぞき込む人、無関心や気づかない人。あるいは不気味がったり、怖がったり。反応は、ひとそれぞれらしい。何しろ、ときおり泡だけが上昇していく静寂の、
生き物のいないこの特異な『沈黙の海』と題された「水槽」は、まさに何も語らず沈黙する水槽である。

いや、水槽はその前を通り過ぎるひとに向けて、静かに語りかけるように設置されているのではないか。
何かを訴えようとしているのではなかったか。もしかしたら吉田啓正は、この水槽を作ろうとした時、
レイチェル・カーソンのあの『沈黙の春』(1962)を念頭においていたのではないだろうか。

化学物質や放射能による汚染、毒の連鎖。「春になっても鳥が鳴かない」、「春がきたが、沈黙の春だった」とカーソンは訴えた。そして、はるか遠く日本の南方の海のそばの水族館に、『沈黙の海』と題された生き物の
いない人工の青い水槽はある。ここにあるのは「自然の沈黙」ではない。「人工」のものが沈黙しているのだ。だがこの水槽はほんとうに沈黙しているのだろうか。

水槽の横には、吉田自身によるメッセージが添えられている。その中の、「青い海 なにもない」。「いつの
まにか、なにも聞こえない」という言葉は、この「水槽」に吉田が何を託したかったのがわかるというものだ。水族館という展示施設の中の、特異な水槽『沈黙の海』。考えさせる、価値あるすぐれた「展示」だろう。