元村正信の美術折々/2018-01-24 のバックアップ(No.1)


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美術折々_127

映像作家、福間良夫なら


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昨年暮れ、FMF福岡の山本 宰 氏からある冊子を送って頂いたのだが、例の風邪のせいでこの冊子のことに触れ
ないでいたままだった。ある冊子というのは、福岡を拠点に国内外で活動していた今は亡き映像作家、福間良夫と彼が主宰していたフィルム・メーカーズ・フィールド(FMF)の軌跡を記録すべく、彼と関わりのあった人
たち22名の寄稿文と関連資料によって振り返ったものだ。またこの記録集出版と同時に、11月25日・26日に
薬院のIAF* SHOPにて『福間良夫没後10年追悼映像個展』も開催された。

福間良夫は1953年福岡市に生まれ、1970年代後半からいわゆる実験的な個人映画、それも8mmフィルムを中心とした作品や多くのシネマテークを通して果敢な活動を展開する。京都の映像作家、櫻井篤史は福間の作品を、「静謐かつ緊張感に満ちた独特の質感を伴っている」と評していた。しかし突然、福間良夫は2007年6月28日
下腹部大動脈瘤破裂により急逝してしまう。まだ53歳のなかば。その時、無念だけが彼と彼を知る者すべてを
突き抜いたはずだ。

じつは僕は、福間良夫と同い年でおなじ大学に在籍してもいた。1977年にノト・ヨシヒコ、森田淳一によって
結成されたフィルム・メーカーズ・フィールド(FMF)が、その年から始めたシネマテークに僕らも足げく通うようになると、自然に彼らと顔見知りになり実験的な個人映画と現代美術は互いに見たり見られたりするようになった訳である。さらにそれらを煽るかのように当時の福岡のアメリカンセンターでは、頻繁にアメリカの実験映画や現代美術を紹介するイベントが開かれ若い世代を刺激していたのだ。

1970年代後半というのは、アーサー・C・ダントーが言うような、いわゆる「近代芸術(モダン)と現代芸術(コンテンポラリー)との鋭い差異」が意識されるようになった時期でもある。福岡のことでいえば、当時の
僕にとっては「反芸術」を標榜したかつての九州派と、その後の世代によって展開される「現代美術」との、
ある種の断絶というものを意識せざるを得なかった。

ともあれ、あの頃からもうすでに40年が過ぎている。福間良夫の没後10年は、盟友・宮田靖子がいうように
「映像の在り方」さえもが、「アートとしての映像」の中に収斂されていくかのような現在。その後の私たちは、はたして福間良夫を乗り越えられたと言い切れるのだろうか。これは映画だけの問題ではない。美術そして芸術もまた、「アート」という完全に自由で強大な市場的奔流にどう抗って行けるのだろうか。それでもまだ、私たちはこうして生きているのだから。もし福間良夫なら、それをなんと言うだろうか。