元村正信の美術折々/2017-09-22 のバックアップの現在との差分(No.1)


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美術折々_112
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「水墨画」の余白
「日本水墨画」の余白
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貘の個展まで2週間を切った。眼と手と、それに絡み頭の動きが、ますます錯綜してくる。まだ仕上がっては
いない。さらに10月14日の屋根裏貘でのトークの準備もある。いろんなことが滞ってきた。

そんな中でひとつ。長谷川等伯の『松林図屏風』を、「日本水墨画の最高傑作」とする言い方がある。
そもそも「日本水墨画」とは何をさすのか。たとえば「日本」という国家や「日本画」というものが、明治以後の「日本という近代」に生まれたものであるのなら、この「日本水墨画」という言い表し方もまたそうなる。

だとするなら長谷川等伯が生きた時代(安土桃山から江戸時代初期)と矛盾しはしないか、というのが僕が持つ違和感だ。この作品を「日本という近代」以前の、つまり「近世」水墨画の「最高傑作」というのならまだ
分かる。

もし「日本水墨画」というなら私たちは、この現在からその時代を一体どこまでさかのぼれば、確定できるの
だろうか。では、かの雪舟の『山水長巻』はどうなるのだろう。

かつて小林秀雄は『雪舟』という文章のながで、「雪舟は職業画家でもなかったし、彼の絵は禅僧の余技でも
ない。つまり禅を語るのに絵という手段しかない、そういう処まで絵を持って行った人という事になる様だ」
とまで語っている。

絵師、長谷川等伯と画僧、雪舟。それぞれの「最高傑作」はともに国宝となっている。私たちは彼らの作品を
通してあるかなきかの「日本水墨画」という枠組みを、概念を、あらためて見つめ直すのも悪くはないだろう。