…………………………………………………………………………………………………………………………………… 美術折々_111 ~ 花嫁の挟持 ~ 8月の直木賞授賞式を体調不良を理由に欠席した、佐藤正午。 選考委員の伊集院静は「結婚式に花嫁が来なかったようだ」と残念がったという。これは授賞式を結婚式に 喩えてのことだと思うが、だったら花婿は直木賞ということになるのだろうか。 でもなぜ、「花婿が来なかった」ではなかったのだろう。 ここでは賞という権威は「男性」で、授賞作家は「女性」ということにはならないか。もちろん伊集院静は、 授賞式というハレの日の華やかさを、「結婚式」に喩えただけのことだろう。そう突っ込むなヨ、と言い返されそうだ。 まあいい。僕が触れたかったのは、小説家・佐藤正午の〈挟持〉というものなのだ。佐世保という地で、 ひとりで何十年もただただ「小説」を書き続けてきた〈挟持〉のことなのだ。華やかさなど無縁の孤独など誰にでもある。そうではなく、なぜ彼はいままで、そしてこれからも、「佐世保」という地にしかいないのか。 その〈秘事〉は彼しか知らないことである。 「花嫁が来なかった」のではない。もし佐藤正午を「花嫁」だとするなら、式の遥か以前に、花嫁は東京に ではなく、すでに「佐世保」に来ていたことを私たちの誰もが知らなかった、というべきではないだろうか。