元村正信の美術折々/2017-05-24 のバックアップ(No.1)


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美術折々_98

ボヤケタ概念の表と裏

経済誌の「週刊ダイヤモンド」が、先月の4月1日号で『美術とおカネ 全解剖』というタイトルで特集を組んでいた。サブタイトルがいい「アートの裏側全部みせます」。経済誌などふつうは買わないのだが読んでみた。

もちろん「裏側全部」といっても、美術やアートの専門家や関係者からすれば別段、裏側でもなんでもないの
だが。それでも、いつもは経済やビジネスで頭が一杯の週刊ダイヤモンドの熱心な読者には、たまにはアート
ビジネスという世界の、「おカネ」の動き方を垣間見るという点では、いつもとは違う刺戟になったかも
知れない。

しかしここでも、いつものように「アート」というものが、「芸術」なのか「美術」なのか、「何なのか」が、僕にはよく分からない。

ただ「アートビジネス」というものがあることだけは、よくわかる。まあよく広範囲に多角的に取材したものだ、というのが一読しての感想。いたれりつくせりで、「アート」というか、「芸術」というか、「美術」と
いうか、とにかくそういう「業界」におけるおカネの流れを軸にして、仕事、企業、美術館や制度、歴史、
それに作家をはじめ様々な関係者へのインタヴューを織りまぜながらの総力特集になっていた。

なかでもリアルで笑えたのが、辛辣な「全国主要美術大・芸術大序列マップ」だったりして。
でもでも現在の「美術」って一体なんなんだろう。もちろんココではそんな素朴なギモンは野暮というものか。

この特集のインタヴューの中で、ある企業の社長が「作品でも商品でも、価値そのものを生み出すことが必要だ」と語っていた。現在では、「作品=商品」というのは誰も否定しえない。だとしたら「作品=企業」ということもできる。もっと言えば、「アート=企業」とさえ言うこともできる。すぐれた企業こそ、すぐれた
アーティスト集団だといえよう。

生みだされた「価値そのもの」というこの一点において、「作品」と「商品」とは同じ意味を持つことになる。
このことで、あるはずの境界は一気に溶解することになる。つまり「価値があるもの」であれば、それが作品であろうと商品であろうと「おカネ」になるということだ。

僕は、あらゆる「アートビジネス」というものは、「ART」や「芸術」、「美術」そのものを問い、あるいは
扱う仕事ではなく(無論そんなことではカネにはならない)、「ART」に「巣くうこと」によって成り立って
いる仕事だと思う。

つきつめると「アートビジネス」とは、とうぜん「アート」そのものである必要はないのだ。
むしろ「ART」のボヤケタ概念を、巧みにあやつるビジネスなのである。付かず離れず「ART」のボヤケタ概念の周辺に触手を働かせることによって稼ぐ仕事なのだ。

「アート」が何であるのか分からない方が、ボヤケタほうが、カネになるという訳である。すぐれた「価値
そのもの」は、どこにだって通用し流通できる。だから「アート」の〈本質〉が不可視なほど、不鮮明なほどカネが動くいて行くのだ。

「アートの裏側」とは、つまるところ「商品の表側」のことなのである。