元村正信の美術折々/2016-11-30 のバックアップ(No.2)


……………………………………………………………………………………………………………………………………
美術折々_76

フィクションという強度と空洞への疑い

前々回のこのブロクで、僕は京都市や福岡市美術館のリニューアル問題を引きだし、公立美術館の命名権の売却や民間企業への運営権の移行等を話題にしながら「芸術の規制緩和」や「芸術の民営化」としてすこし触れた。

美術家の森村泰昌は、『美術、応答せよ!』(筑摩書房、2014)の中で、こう語っている。

「そもそも『美術』という漢字二文字自体が、現在急速に死語化の道をたどっています。今はもう『美術』の
時代じゃない。『美術』のかわりに『アート』というカタカナ三文字がとってかわろうとしている。
『美術』から『アート』へ。この、美のカジュアル化現象は、もうあと戻りが難しいのかもしれません」。

そしてさらに、「私はこうした旧来の芸術の枠組みをとっぱらった動向を、『芸術における規制緩和』と呼んでみたいと思います」とも述べている。この考えをどう受けとめるかは、むろん読者しだいである。

いわゆる「美術」というものの成り立ちが、「日本」という「近代」の始まりとともにその出自をもつことは、すでに北澤憲昭をはじめ、こんにちの日本美術史研究の成果によって広く知られるところだ。
そこには「国民国家」と同じく統合され創出された「美術」というものが担った、その役割と表現というものによってすでに明らかにされてもいる。

しかしこの国の「現代美術」崩壊後の、「現代」を喪失した「美術」の「アート」化は、いみじくも森村が、「『美術』から『アート』へ」と呼んだとおり、過剰なほどに見ることの、経験の、多様性を拡張する「美術」は、すでに臨界を超えているようにも見える。

だが私たちには今も、テオドール・W・アドルノの次の言葉を、何度でも噛み砕き吟味する必要がある。

「芸術とは何かという定義はつねに、芸術とはかつて何であったかということによってあらかじめ決定されているものの、しかもこうした定義は芸術が生成することによってたどりついた結果によって、たんに正当化されているにすぎず、芸術がなろうと意図しまたおそらくなりうるかもしれない状態を含むものではない」
                           『美の理論』河出書房新社、2007 新装完全版)

私たちのこの国が生み出した「美術」もまた「芸術」である。北澤憲昭は『境界の美術史』(ブリュッケ、2005 新装版)の中で、「『美術』という言葉が翻訳を契機として造語されたのちに、その語の周辺に、社会的な意味の場が形成されてゆく過程を僕は『形成』と呼ぶ」と言った。
「artでもKunstでもない『美術』という語」がもたらしたもの。そして「それ以後に何が起こり、起こりつつ
あるのか」という問いは、いま現在も起こりつつあり、形成されてゆく過程でもある「美術」の課題ではないのか。アドルノのいう、「芸術がなろうと意図しまたおそらくなりうるかもしれない状態」は、いまもって日本の「美術」そのものの問題であるはずなのだ。

この国に『文化芸術振興基本法』が施行されたのは2001年12月、そして例の『指定管理者制度』の施行が2003年9月。日本の『美術』の創出から、ほぼ130年が経っていた。「国家」が生んだ「美術」という概念がまた改めて国家によって「民間等の活力を利用」 し、芸術の規制緩和や民営化として再編成されている。
京都市や福岡市の件もそうだ。

ベンヤミンが言ったように、「彼自身はつねに岐路に立っている」。この「彼自身」とは、他ならぬ私たち
ひとり一人の永遠の〈現在〉のことなのだ。「美術」もまた、そのような〈岐路〉に立っているはずだ。
いやすでに「アート」という方へ舵を切っているのかもしれない。しかし、「形成されてゆく過程」といい、
「なりうるかもしれない状態」とは、私たちがいまだ「芸術」あるいは「美術」とは何かを定義し得ていない
以上、未来というものに向けて「芸術」や「美術」それ自体を、たえず問いなおし、自らを超え出てゆく必要があってのことではないだろうか。制作や見ること、体験や思考という行為を含んだ〈表現〉そのものを問うためにも。そしてまだ見ぬ新しい〈美術〉と出合うためにも。