元村正信の美術折々/2016-10-25 のバックアップ差分(No.1)


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美術折々_71
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結果ではなく、「ながらえつづける」ということ
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かつてニーチェは言ってくれた。

「人間の価値は、その人間の有用性のうちにあるのではない。
なぜなら、おのれが役立つことのできるひとが誰ひとりいないときですら、
その人間がながらえつづけるであろうからである」(権力への意志[下]、ちくま学芸文庫)

さらに、こうもいう。

「人間の価値を、その人間がどれほど他人にとって有用であるとか値するとか有害であるかとか
ということにしたがって評価すること、これは芸術作品がそれがひきおこす結果に応じて評価するのと、
まったく同じことである」。

ニーチェは、伝達することや有用性ばかりが支配するこの世界を悲嘆しながら、それでもあきらめることは
なかった。じつは、人間の価値も芸術の価値も、何かのために、あるいは他者の役に立つことがない時でさえ、
たったおのれ独り、それ自体でしかない時でさえ、ほんとうの価値というものは「ながらえつづける」のだと言っている。

どうやら私たちは、「作品」そのものよりも「それがひきおこす結果」、つまり他者の権威や評判、数量や
規模、人気や不人気といったものに敏感に反応する生き物のようである。
かつてなかった芸術、これからありうるかも知れない芸術とは、「結果に応じて評価」される芸術では
ないはずだ。

「ながらえつづける」というのは、ただ漠然と同調し現状肯定的に生きていることではない。
誰ひとりいないときですら、存(なが)らう、存在し続けてあるということだ。

やはり僕は、抗(あらが)い続けて生きることだと、解釈したい。僕にとっての作品も、そうでありたい。