元村正信の美術折々_bak のバックアップ(No.30)


美術家・元村正信氏に、アートスペース貘で見た展覧会の感想や
折々の事などを、美術を中心に気の向くままに書いてもらいます。    artspacebaku
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美術折々_13
 

梅雨のほとりにて

若かった頃は、いつも春先になると言いようのない不安に戸惑い、その日通う道さえも心細く思ったものだ。
それは少年少女の、不安定な心もようだけでなく、ものみな芽吹くようにふくらみ始めてまだ落ち着かない、
華奢でやわらかな体つきそのものから来るものだったのかも知れない。

やっと二十歳を過ぎ、ちょうどそんな不安と入れ替わるように、美術家として個展をするようになってから何度となく見続けた強迫的な夢がある。それは、個展の初日を迎えたというのに、作品が全く出来上がっていないという夢である。何もないのだ。喉もとまで追いつめられいつも決まって、そこではっと目を覚ました。

そうしながら何度も個展や発表の場数を重ねるうちに、そういう強迫的な夢のようなものもいつしか遠のいていった。

よく、夢うつつというけれど、いまだってどこまでが夢で、何が現実なのかは本当のところ分りはしない。
「夢が現実になった」という話しはどこかで聞くことがある。だが現実というものが、夢ではない証しなど
ほんとうにあるのだろうか。

一見当たり前のように「ある」と思い込んでいる目の前の現実というものが、〈けして触れることが出来ない
現実〉であることを、わたしたちは敢えて遠ざけることによって(むろんそこに多くの欺瞞や虚偽は付け込む
のだが)、かろうじて現実(夢)というものを生きて行くことができる。

だがら、夢と現実が、ぴったりと重なりあうことはないはずなのだ。なぜならそのズレによって、その裂け目や溝の深さによって、わたしたちは、日々というこの苦痛と、儚さと、快感が、見境もなく交じり合った日常を、病みながらも、しのぎ、超えて行くこともできるのではないだろうか。

初夏のあと、梅雨のほとり。穏やかな青灰色の水面の果てには、地とも空ともつかない無限の余白がどこまでもひろがっている。
(2015.06.10)

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美術折々_12
 

北村ケイ写真展 「arabesque」〜彼等の肉体でいっぱいの〜

幻想、人形、少年、ノスタルジー、そして稲垣足穂、タルコフスキー、ベルメール ……。
もうおわかりだろう。これらはみな、写真家・北村ケイが一途に偏愛してきたものたちである。

それでも不足というなら、澁澤龍彦、バタイユ、フーコー、さらにニーチェまで召喚させてもよい。

熱狂的ファンを持つその濃厚でアンダーグラウンドな、北村ワールド無銭興行 「arabesque」2015 全開中。
またしても、エロスとタナトス、比喩としての水、闇、肉体、緊縛、虚々実々のセクシュアリティー渦巻く、
わたしたち人間の素性が、健全な肉体が、逆説的にせよあらわにされているのだ。
「彼らは新しく、奇妙で、美しい」 と北村はいう。

そんな北村ケイにとって、「写真」とは一体どういうものなのだろう。

僕からみれば、北村ケイの写真は、彼女の体内からほとばしり湧き出てやまない〈幻想綺譚〉さえも、文字通り写し撮るための、冷徹な〈媒体〉のように思える。見る者にとっては、見る者自身の抑圧されたままの無意識や、忘れ去ったままのいびつな夢の錯綜が、あたかも鏡に映し出されたものを見せつけられたような写真とでも言えばいいのだろうか。

ここにあるのは〈美のはかなさ〉ではなく、見分けのつかない性であり、異化され続ける「彼ら」の、性差不明の肉体そのものではないか。暴かれた数々の道徳幻想は、過剰な装飾をまとい、無言の喘ぎ声をあげている。
北村ケイの写真は、写真とはことなる写真。まさにトランスフォトグラフ(異なる写真)と呼べるものなのではないだろうか。あまたの「幻想的写真」あるいは「写真にとっての幻想」とも明らかに違う、執拗につくり込ま
れた〈舞台の上〉に〈写真〉がある。

それでも写真にとっての瞬間は失われてはいない。この幻想。つまり、触れ得ない現実(外的世界)と、写真(内的世界)とのあいだに、北村ケイという奇異な作家が立ち尽くしている、ということを忘れないでおこう。

生の否定へと働く グローバリズムの巨大な力は、世界の隅々までをも、快適さで彩り、快感で縛り、骨の髄
までむさぼり続けようとしてやまない。
ニーチェは言っている 「芸術は、生の否定へのすべての意志に対する無比に卓抜な対抗力にほかならない」。

でっち挙げられた規範や道徳とは最も遠いところに、北村ケイの写真はある。彼女の写真も、この「無比に卓抜な対抗力」のひとつに違いない。その異形の、アンダーグラウンドな作品は、もちろん我らがまぶしき世俗とも
地続きなのである。

それらはまた、縛られ続ける従順なわたしたちの着衣を剥ぎ、あるいは過激に焚き付け、鼓舞しているようにも見えるのだ。
                                    同展は6月7日(日)まで。

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美術折々_11
 

末藤夕香 展
 

五月のつよい陽射し。
初夏の心地よい風とともに、目にも鮮やかな新緑溢れる季節の中をぬって、久しぶりにみた末藤夕香の個展は、
そんなまばゆい緑から抜け出てきたような、艶のある何種類もの濃淡の異なる緑の色糸にくるまれた、11個の
「オブジェ」を床や壁に配したものだった。

それらをいま僕は、仮にオブジェとよんでみたのだが、これらの中身は、たぶん椅子や腰掛け、それに木枠や
雑貨のようなレディ・メイド、もしくは手製のものだろうか。つまり多くは既製品を、無数の束ねた糸で被い
包み込むようにしてその「原型」を隠したものだ。

原型を隠すとは、それが持つ本来の機能や用途を一度閉ざすこと。それでも形そのものが歪められているという訳ではない。だから見るものは、糸におおわれた奇妙な「品々」に親しみとも困惑ともつかない感情を抱くことになる。

それは、「家具か小道具にも似た観葉植物」と声にしたくなるものだった。複雑な感触とでもいうものがここ
にはある。一見無造作に配置されたかにも見えるそれらのあいだに、緊張感といったものはない。むしろ誰かの「部屋」にでもいるかのようなある種の安堵感。この「誰か」とは、むろん末藤夕香のことである。もちろん
僕は彼女の部屋のことなど知るよしもないし、また実際の部屋であるはずもない。

時間を少し過去に戻すと、ある時期を境にこの作家は、それまで取り組んできた彫刻作品から〈極私的空間〉へと転出している。これは僕の憶測だが、末藤夕香は自分の〈居場所〉を仮構しながら、自らの他者、世界という外部を、そこに取り込むことで自身の〈傷〉を見つめ直そうとしてきたのではないか、と思うのだ。

もともと彫刻家として出発した初期から用いてきた石膏、樹脂、鉄、木といった素材から、やわらかな布、綿、壁紙や私的アンティークの数々、そして糸にいたるまで。すでに25年が経っていた。
なんどもフランスと福岡を往復しながら、彼女は何を見つめ考えてきたのだろう。

僕は早くからこの作家の、彫刻家としての才能に注目してきたものだ。彫刻から非-彫刻としての極私的空間へといたる展開。近年の作品を見ていると、多分に手芸的でありながらも〈非-手芸としての物〉の可能性、と
でもよんでみたい願望に駆られる。

末藤夕香という作家は、いまも変わらず鼻っ柱がつよいのだろうか。
かつてボルドー郊外の果てしなく続く葡萄畑の中を、愛車プジョーのハンドルを握りしめ、まっすぐに風を切り
猛スピードで疾走していた作家の姿が、いまも重なる。
 
鮮やかな新緑は、なおも作家を励ましてくれることだろう。 われに五月を。
                                                                                       同展は5月24日(日)まで。

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美術折々_10
 

「ART」と「アート」は、同じなのだろうか_その(1)

 
日本のカタカナ語彙の中で、この20年間で加速度的に氾濫したと思われるもののひとつに〈アート〉がある。
西欧語の「ART」の翻訳語として、この国では近代以降、それを「美術」あるいは「芸術」と訳し使用して
きた。かつて西欧語の受容翻訳によってこの国は、さまざまな西洋の概念を母語に移殖することによって
〈日本〉という近代を成し遂げてきたと言ってもよいだろう。「ART」と「芸術」の関係もまたしかり。

だが今「アート」という言葉はそんな翻訳語が持っていた概念をも棄て、西洋の「ART」を表音化しただけの
ものになってしまった。意味ではなく音(おん)のみが、口当たりのよいムーディーな響きのみが残り、漠然と一般化してしまったのである。じつは、この〈翻訳語喪失〉の問題は私たちにとって大きいはずなのだが、
ほとんどなし崩し的に「近代」そのものの財産が無化されていると言えないだろうか。負の近代化遺産として。
もちろん、いまさら近代が消失して何がいけないのか、と言うこともできよう。「ART」が「アート」になったのだから、むしろその方が自然ではないか、分りやすいという訳だ。

しかし、〈ART〉を問うことと、〈アート〉を問うことは、同じことではない。なぜなら、ここには文化を異に
する二重の言語があるからだ。いまの世界を牽引するグローバリズムの奔流の中にあって、なおも普遍性を
持ち、それ自体への問いを手放してはいない〈ART〉という概念(もちろん拡張や拡散はあるにしても)と、
わがカタカナの「アート」という気楽で空虚な響きを帯びた言葉とを、改めて比肩してみたくなるのは私ひとりだけだろうか。近代語(日本国語)としての「美術」も「芸術」も放擲したかに見える今。

でもなぜ、そんなことを百も承知で日本の現在の「美術業界」の多くは、都合よく「アート」を標榜し、自らをそう呼んでいるのか。それは日本の、いわゆる「現代美術」の崩壊と無関係ではないと思われる。
いわゆるポスト現代美術の受け皿としての「アート」は、いかにも「現代性」と「市場性」そして「自由」を
合わせ持っているようにも見える。しかも、ここには既存の価値への懐疑、既成概念や制度への抵抗あるいは
否定性を骨抜きにした、グローバリズムのイデオロギーそのものが反映されてはいないだろうか。

僕はその「現代美術」崩壊の分水嶺を、約20年前の1995年頃だとかんがえている一人だ。
ちなみにこの年は、ちょうど100周年を迎えた第46回ヴェネチア・ビエンナーレの年に当たっている。
(興味ある方は歴代の日本代表作家を追ってみれば、日本の「現代美術」の変質と消失の一端を知れるだろう)

また「アート」については、美術評論家の椹木野衣氏が、美術手帖2010年11月号の『後美術論』の第1回連載の冒頭で「非歴史化の進行のなかで強制終了させられる現代美術に代えて、あえて空虚な表音語「アート」を
用いる」と表明している。
(2015年3月に刊行されたその単行本『後美術論』では本という構成上からだろうか冒頭部は省かれている)

その本文ではズバリ「日本語でアートはあらゆるものを指し示す」という。
つまり、なんでもアートということだ。その通りだろう。

それでもさらに「むしろ、歴史や定義の重力から解き放たれた、この「響き」を存分に活用することで、日本語のアートでしか可能にならないような、自由で無方向な文化の運動を思い描くことはできないか」と、野望ともつかぬ希望を語っていた。この1回目前半部には、するどく的確な「アート」理解が散りばめられているので、
いまの空虚な「アート」を肯定するにせよ批判的に考えるにせよ、連載を読まれていない方は参考のために
一度単行本を手に取ってみられてはいかがだろう。

そして、それらを踏まえた上でなお、そのような「アート」ではなく、「自由で無方向な文化」の中ででも
なく、私たちが喪失した「美術」の、「芸術」の、空洞化の真っ只中で〈現代美術以後〉の、これからあろうとする〈未来の美術〉をかんがえ抜いてみたい、見てみたいと、あえて僕は思うのだが。

                                            (つづく)

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美術折々_09
 

安部義博 ・ 2015

 
このところモノクロームベースの個展が続いていたアートスペース貘で、久しぶりに色彩の渦に囲まれる。
鮮やかさと、一方で濁りくぐもった色彩とが入りまじる激しくも混沌とした画面は、うららかな春霞に慣れた
こちらの目を一気にさませてくれた。
それは、初夏のつよい陽射しが突き刺さるような、荒ぶる筆触で埋め尽くされた、安部義博の絵画のこと。

もちろん、私たちはかつての抽象表現主義やフォーマリズム、モダニズム絵画と呼ばれたものを知らない訳では
ない。だがことさら安部の作品にそれらを引き付けて「現在」を語る錯誤だけは、まず避けておきたいと思う。
ただ少なくとも、ポロックが自らの作品について「何かを絵の中に探すべきではなく、絵に対して受動的になることが重要である」と答えたことは、いまもって可能であろう。無論、安部義博の絵画についてもである。

しかしこの「受動的になること」は、案外むずかしいものだ。見る者は当然、絵の「中に」何がしかの主題や
意味内容を求めたくなる。だが受動的になるということは、自らの経験や偏見、先入見に抗わねばならない。
ひたすら、絵に添うこと。今風にいえば、全肯定。あるがままを受け入れることになる。はたしてそうなのだろうか。いやそれこそが最も困難なはずだ。ましてや、どんな絵であれ共感ばかりとは限らない。ときに反感や、嫌悪さえいだくこともあるのだから。

むしろ人間というものは、視覚は、見えるものを「見えた通り」に受け入れることなど出来やしないのである。
じつは、見たいものしか見ていないというのは真実でもある。では私たちは、安部義博の絵画を前にして一体何を受けとめることができるのだろう。
白いキャンヴァスを埋め尽くすように縦横無尽に描きなぐられた粗野で荒々しい筆致は、収まりのつかない画家
じしんの欲動のようにも見える。だとしてもそのどれ程を、私たち見る者は理解できるのだろうか。ここには、肯定と否定の意志が錯綜し、打ち消し合い、あるいは重なり、もつれながら〈風景〉ならざるものが、世界の
何かが、描かれようとしているようにも見えるが、もちろんそれさえも、私ひとりの思い込みにすぎない。

複雑に入り組み、絡み合った画面そのもののように。何か答えを探すでもなく、行き着く当てのない問いを発し
つつ、描いた者も、そしてそれを見る者も、たがいに異なる場所から自らの他者を意識したまま、一片の絵画を
介して、ただ立ち尽くすしかないことだけは確かなようだ。

絵に対して「受動的に」なれるかどうかは、どうじに能動的に向き合えるかどうかに係ってもいる。
ポロックが語ったように「何かを絵の中に探すべきではない」のであれば、私たちが受けとめるべきものは、
いくら恣意的でさえあっても、やはり見ることの能動性の中にこそ、発見されるべきものだろう。

こうして安部義博の絵画に、いまも〈囲まれながら〉そんなことをずっとかんがえている。

     
                                     同展は4月26日(日)まで。

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美術折々_08
 

柴田高志個展 「回帰」

 
これでもかこれでもかと、渦巻くように繰り返される細密な線描画。
凝視すればするほど、気の遠くなるようなその描線の行方に、時として見る者は自らの視線を失いかける。
それはこの作家が作画について語っているとおり、「エネルギーの塊のようなものに『不明』を纏わせ」て
いることと無関係ではないようにも思う。つまり、絵というものは緻密であればあるほど、そこに見る者は
感嘆するという傾向があり、それに対してこの作家はどこかでそれを意識的に遮断しようとしているのでは
ないだろうか。

アートスペース貘での初個展から7年。これまでその作品の多くは、墨を使い白い紙にペンで描いてきた。
だが墨らしい滲みやぼかしはむしろ少なく、今回、蝋を垂らすなど新たな試みも見られるが、やはり鋭い
ペン先から繰り出される「線」に執拗に拘ってきた作家と言ってよいだろう。
すでにドローイング作品として賞を得るなど、その評価とこれまでの活躍はよく知られるとおりだ。

では、柴田高志はいったい何を描こうとしているのだろうか。この不気味な、奇怪な、捉えどころのない
画面。いや、もっと引き付けて読むなら、人や生き物の艶かしさ、底知れぬ妖しさ。そしてこの世のものとは 思えぬ異形のかたち、異界のものたちのうごめき、さもなくば修羅幻想の妄執なのか。

だが作家は、そのすべてにノンという。であるなら、私たちはこの絵の前で、線の前で、逡巡し続けるしか
ない。

 かつて小林秀雄は、『ドストエフスキイ』の中で、「ドストエフスキイの作品の奇怪さは現実そのものの
 奇怪さ」だと言った。さらに「ドストエフスキイのいわゆる不自然さは彼の徹底したリアリズムの結果で
 ある、この作家が傍若無人なリアリストであったことによる。外に秘密はない」とまで言い切っている。

このような文をあえてここで引いたのは、唐突に過ぎるかもしれない。
しかし、ここには何か柴田高志の、作品の「内密」に触れるものと重なるものがあるような気がしたのだ。
もし柴田高志の絵をひとりの空想からではなく、うごめく「現実そのもの」から生まれてくる奇怪さであると
するなら、この若い画家に見えているのは、美しくも醜悪な線描画として現れてしまった〈現実の相貌〉だと
は言えないだろうか。それが、彼の絵の「わからなさ」の魅力なのかもしれない。
 
5月からは東京にも新たな拠点を持つという。いっそうの飛躍を期待しよう。
                                                 
                                     同展は4月12日(日)まで。

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美術折々_07
 

Where have all the flowers gone?

 
桜の花咲く季節に、多少ともこの国に暮らしたことのある人なら、淡い色に染まった野山や、ざわめく街角
にも訪れた春とともにそこで味わう悦びや苦みを、誰しも少なからず知っていることだろう。

そして満開の桜を愛でる人の波もまた、花の数に負けてはいない。
毎年花見客で賑わう舞鶴公園、福岡城跡のはずれ、東側の石垣下。旧平和台球場跡裏に
ひっそりと建つのが、福岡市の鴻臚館跡展示館である。

この展示館は1995年、ちょうど今から20年前にできている。
建物の南東に広がるだだっぴろい敷地を囲むように土手が残っているのだが、かつてはその土手に沿って
大きな桜の並木があり、桜の頃になると僕は毎年ひとりここへ来て、ひんやりとした花冷えの土手に
腰をおろし、その下のテニスコート(これも今はない)に散りゆく花びらを眺めていたものだ。

この光景は、鴻臚館跡展示館ができる前、つまり20年以上前のことである。
でもなぜ、それと同時にあの大きな桜の並木はことごとく引き抜かれねばならなかったのだろうか。
開発と遺跡発掘は、同じ硬貨の両面だと、ある専門家に教えられたことがある。

花の美しさというものに、異を称える人はおそらくいないだろう。
だが風景の変貌とは、ある日突然おとずれるものである。満開の桜とて例外ではない。

 もろともに我をも具して散りね花
 憂き世を厭ふ心ある身ぞ       西行

これは 「私も、この世を嫌に思っている。だから花よ、私を連れて一緒に散ってくれないか」 という
意味の歌らしいが、
ここには歌人西行の、時代に対する違和、そして生と死への、壮絶な覚醒が込められてはいないだろうか。
 
かつてピーター・ポール&マリーがカバーした『花はどこへ行った』という歌の最後に、
「いつになったらわかるのだろう」というフレーズがあるが、「憎悪の連鎖」を安易に嫌悪し批判する
私たちに、一体、わかる、という日がいつか来るのだろうか、とも思う。
 
満開の桜が、いともたやすく喪われてしまわない、そんな春であるように。
 
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美術折々_06
 
 
六本松遠景

 
きのう、思い立ち久しぶりに、六本松まで歩いた。

この頃、この街へ行くのは、もっぱら蕎麦を食べる時のみになってしまった。
昼前の開店早々に、暖簾をくぐる。店の奥からは、てきぱきとした仕込みの音が響く。
きょうは島根の酒、冷えた「王禄」を飲みながら、もりそばを頂いた。
そば湯が出てくる頃には、もう昼時だ。
さあそろそろ、席が埋まっていく店を後にしよう。

そうしてそこから別府橋大通りに出て東に向かえばすぐ、かつての九州大学六本松キャンパス
(旧九大教養部)の、大きな空洞のような跡地が広がっている。
地下鉄七隈線六本松駅辺りの交差点からは、この空地越しに谷から続く輝国の丘陵まで
遠く見渡すことが、今なら出来るのだ。いまならと言ったのは、もうすぐこの跡地には大型マンション、
複合施設が立ち、さらに裁判所、検察庁などの移転も控えている。いわば、つかの間見晴らすことのできる
「空洞」を、僕たちは他人事のようにして目撃していることになる。

ここには、かつての学生達の賑わいも、あの闘争も、催涙弾の硝煙に滲んだ正門前の街の光景も
すでにない。古い記憶や感傷など何程のものか、とでもいいたげに。しかも人間は相変わらず貪欲である。
新しいプロジェクトは、別種の「賑わいを創出しよう」と粛々と進行しているのだ。

なぜいつも、なんの謂われもなく、「風景」というものは、こうして唐突に変貌せねばならないのか。
たとえ〈近代〉というものが消滅したにせよ、解体も再生も、さらなる崩壊の後も、このようにして
延々と風景の「創出」は繰り返されて行くのだろうか。
その傍らにはいつもひとり、ぽつんと置き去りにされている、わたしたちがいる。

遠景とは、こうして眼の前に広がっているにも関わらず、同時に幾度となくわたしたちじしんが
葬り去ってきた、そしてこれからも生まれては葬り去って行くであろう、
眩しすぎる未来の光景のことかもしれない。

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美術折々_05
 
春の雨

どんよりとした灰いろの空から降る、肌をぬらす柔らかな雨。
こんな午前の、遅い朝でも人影はすくなく、水辺もひときわ静かである。
濡れ落ち葉を掃く箒の慣れた音だけが、耳もとに届いてくる。
 
アスファルト。不意にひとりの男から行く道をさえぎられた。
いま撮影中なので、少しだけお待ち下さいという。通行止めだ。
どれ位待つのか、一瞬尋ねたかった。
すると、目の前をコートを着たモデルらしき若い女性が傘も差さず歩いていく。
すぐさま、「カ-ット!」、「もう一度!」の声が響く、そして通行止め解除だ。
「すみませんでした」と、男がこちらにひと言。
何かがぎこちない。
 
まだみな目覚めていないような、もの静かな雨の撮影現場。
映画ほど機材やスタッフの数も大袈裟ではないので、
何かのコマーシャルかプロモーションものなのだろうか。
まさかこんな雨の朝を待っていたのか、いやいや、たまたま今朝が雨になった
ということだろうと、独り言ちて再び歩き始めたのだった。
 
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美術折々_04
 
逆転への意志

塚原舞加の初個展 「残り香」は、紙にインク、アクリル、鉛筆などによる
ドローイング的絵画ともいえるモノクローム作品。
3月30日より同画廊で個展予定の、柴田高志作品との類似性を指摘するのは
たやすい。だがむしろ、塚原舞加の作品の方が、絵画性がより明確に表れている。
また柴田高志ほど細部への執着や偏執な描線の繰り返しに重きはなく、
何を描くべきか、なにを描こうとしているかの意識が、こちらによく伝わる絵であり、
細い線も、滲みも、すべてはそのために用いられているのだ。

ではそこにうごめいているのは、一体何だろう。人工と自然の混血。
エイリアンか、モンスターか…それとも無機物か。いや無論具体的な何かでは
ないはずだ。未来とも現在ともつかないこの地の光景に、それらが異物のように
交じり、しかも確かに眼球をもつ 「生き物」として点在し、その姿を潜めている。

この若い作家はいう。
「血と内蔵までも地の引力に沿い、生きるための圧を受け入れている。
果してそれでよいだろうか。その全ての認識を根本から覆したい。
真実を知る為に」と。そう、この小さくも、そして痛切な、逆転への意志。
 
だが、真実というものは容易には知りえない。
僕たちは、目先の適応関係に悩み振り回される必要などないはずだ。
まさにうごめくような、〈この世界との不適応関係〉の中にこそ、本当のことが
埋もれていることに気づくべきではないか。
 
僕たちの、日々の危うい認識への懐疑として、自問として、この個展を
見てみてはいかがだろう。

                                同展は3月15日(日)まで。

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美術折々_03
 
大塚咲×夕希 展_のこと

前回、じつはほとんどこの写真展のことに触れていないのに気づいた。
つい少年との出会いに気を取られてしまったようだ。
だから、この展覧会「MEME」のことも少し。
 
ふたりの女のみを被写体にしたフルカラー作品。
それぞれのセルフポートレートが含まれてもいるが、
写真家・大塚咲の写真展といってもよいだろう。

濃密な吐息、噛みころすような声、火照った肌に滲み出す汗、虚ろな瞳…。
じっとりと湿った、粘着質のものがそこかしこに溢れている。
すべては終ったのだろうか。
 
不在の女、あるいは男。ふたりの女に迫ったものの性そのものの不在。
いや、ここでは性の根拠そのものが見えないのだ。

朝霧にくるまれるように、いまも雨は降っている。
水辺の情景はすでに霞んでいた。
ついさっきまで愛したひとの姿が見えない。
 
ふたりの女はいったい何を想い、旅を続けたのだろうか。
冬も終る。そんな雨も、やがてあがるだろう。

                          
                     同展は3月1日(日)まで。

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美術折々_02

大塚咲X夕希 展

ちかい春の風がまじった昨夜とは違って、寒かったきょうの昼下がり。
屋根裏貘のカウンターで、初めて来たというひとりの少年と出会った。
 
彼はひとつ置いた左の椅子に腰を下ろすなり、「ブラック」といった。
懐かしい響きだ。
ブラック。もちろんコーヒーのことであるが、
つまり砂糖はいらないという注文のしかたである。
こんなオーダーの仕方ができる少年が持つ、懐かしさ。

そのまえに、僕は隣りの貘のギャラリーで、130点程もあろうかという
ふたりの女の吐息に充ちた生々しい写真の「熱」に接したばかり…。
初めて会ったこの色白の華奢な少年と、彼が吐いたブラックのことばの響きを、
当然その写真を見てきたであろう彼と、女たちの艶かしさを
重ねずにはおれなかったのだ。

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美術折々_01

はじまりに

今回から「貘」のサイトの中に『元村正信の美術折々』というメニューのひとつを任せて
頂くことになった。「日記」ではないので、毎日更新という訳にはいかないが、
アートスペース貘で毎月見る展覧会の中からの感想を中心に、ギャラリー右奥のカフェ
「屋根裏貘」のカウンター越しに触れた人間模様、あるいは日々の思索や好きな散歩の
折々にすれ違った光景など、時には写真も交えながら、気の向くままに不定期ではあるが
すこしづつ綴って行こうと思っている。
 
たまには、息抜きがてら覗いていただければ幸いです。
                                          元村正信