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美術折々_324
芸術に、力はあるか
政治結社「ファシスト党・我々団」を率いる、異端の政治活動家・外山恒一(とやま・こういち)の実像に迫るべく、西日本新聞文化面で3月5日まで毎回ほぼ全6段扱いという異例の、それも7回に渡って連載された『自称革命家 外山恒一の闘い』。
地方のブロック紙が「(外山いわく)社運がかかった大型連載」として彼の半世紀を略伝記的記事にしたものだ。担当記者は藤原賢吾。
外山恒一をすでにご存知の方は別にして、はじめて知る方や興味のある方はネットで検索したほうが手っ取り早いかも知れない。藤原記者はその連載の最後をこう結んでいる「この日本で革命家を自称する男の真価は、歴史に委ねるしかない。トリックスターのようだが、想像力を欠いた現代社会を痛打し、人々を喚起するその姿は、『革命家』と呼ぶにふさわしい」と。
外山が言うように「ベタ褒め」とは言わないが、かなり思い入れと力の入った連載記事だった。
外山恒一は1970年生まれ。あの大阪万博のあった年だ。以後日本社会のこの50年はどのように動いたのか。この国の近代がそして高度成長が、いかにそれまでの自然や伝統を根底から断絶し人工化しようとしたのか。戦後民主主義と言われるものが、いかに虚偽と欺瞞によって「平和」をうたってきたか。
外山のいう「よりろくでもない状況」が、私たちの平和の裏返しだったから。おそらく多感な少年外山もそれに反感をいだき抗い成長してきたはずだ。とうぜんそんな外山にも実像と虚像はあるだろうが。
〈選挙反対、目指せ投票率ゼロ%〉と訴える外山。僕は彼の過激な政治活動を否定しない。ただ外山自身がいうように「外山の活動を “ 芸術 ” 呼ばわりする困った人々が多数取材に応じている」のは、一見冗談のようだが僕の理解からすれば、彼の活動が「アート」でもあっていいのかということになる。やはり本気で困ってはいないのだろうか。
たとえば「アート」だと捉える人はこのように言う「『既成の概念を疑う』という役割がアートにあるとするならば、外山さんの活動はまさにアートが果たすべき役割のひとつ」(同連載6 より)だと。でも「既成の概念を疑う」というのは、何もアートに特有のものではない。いまのアートが何でもアリだから政治活動もアートになるのである。
この現にある世界の社会の、既存の制度や枠組や規則規定を疑わずして何の異議も抵抗もあり得ないではないか。僕はつねに個人が政治であり、政治的でない芸術などないと考えているから、作品のありようが活動がすでに「政治」を体現していると思っている。
美術家の会田 誠は、外山を「誰よりも芸術家的だと思います」という。たしかに一面において「芸術家的」かも知れない。その行動が発言がパフォーマンスが。しかし連載にもあるように、彼のその政治活動を逆に「アートの文脈に落とし込めないかと探る」というのは、アートの側からの勝手や好奇に過ぎないのではないか。じゃあアーティストもどしどし政治活動をやってはどうか、誰よりも芸術家的になれるではないか。
〈芸術が力を持つためには 芸術を自称してはならない〉これは外山恒一の言葉だが。彼の政治活動もアートになるなら、「平気で展示してもらえる諸君は自らの無害なサブカル性を反省したほうがよかろう」と彼が揶揄したアーティストたちと何ら変わらないではないか。僕は政治活動家としての外山恒一に、どこかで現在の芸術をアートの文脈を、徹底批判して欲しいと思っているのだ。
外山をよく知る思想家の千坂恭二が、こう言っている。彼は「今でも公然とファシストを『自称』しているが、信ずるなかれ」と。それにならえば外山がアーティストを自称する時は、けして信じてならないと。できれば外山恒一という男の「革命家」としての気概を、いまのサブカル・バラエティ化するアート界隈やアート業界に、彼の中指を突きた立てて欲しいものだ。
ちなみに3月14日まで北九州市小倉北区のGALLERY SOAPで、彼の初個展『人民の敵 外山恒一展』が開かれている。
「高校時代から30年余の波乱の活動史を、当時のビラや冊子、掲載メディア、そしてあれやこれやの “ ブツ ” を会場内にこれでもかと並べて誇示するという展示」とFBでの外山のコメント。この個展で外山恒一を「アーティスト」と呼ぶかどうかは、見た方の判断に任せるしかない。