元村正信の美術折々/2020-05-24 のバックアップ(No.3)


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美術折々_275

天賦の才と華の彼方

すでに周知の通り5月21日、福岡市を拠点に活躍してきた画家の菊畑茂久馬氏が肺炎のため85歳で亡くなった。かつて前衛美術集団「九州派」に参加して以降、1960年代日本の「反芸術」にも名をしるした作家のひとりであり、1983年から東京画廊で発表された絵画『天動説』シリーズ以降の歩みは知られる通りだ。氏についての評価はもちろん、作家や美術関係者でなくともファンも多く、改めて紹介するまでもないだろう。

だからここでは、氏への敬意を持って僕なりに二つのことのみを記しておきたい。

まず一つ。それは僕が知るかぎり九州派以降の1970年代からこの45年以上、福岡にある画廊やギャラリーでは、菊畑茂久馬の新作を見る機会はほとんど皆無に等しかったこと。わずかに1979年に天神アートサロンで版画集「オブジェデッサン」展が開かれているらしいが見逃しているので、実際に僕が見た記憶は80年代前半、りーぶる天神という書店の一角でこの版画集「オブジェデッサン」の展示販売と、他には赤坂画廊と天画廊での二つの個展。あと異色なところで言えば、呉須で絵付けした有田焼の大皿による天神のNICでの個展ぐらいだろか。今はもう、どの場所も残ってはいない。

つまりこの間、福岡の若い作家や美術学生たちに限るならどの世代も幸か不幸か、菊畑茂久馬のオブジェそのものを含め各時代の新作から直接の影響を受けなかった、受けようがなかったのである。なぜ福岡の大学の芸術系学部や学科は、彼を教師として迎えなかったのか。独学だったからか。画廊のほとんどは、なぜ彼の作品をまとまって紹介できなかったのかと思う、最後まで。残念でならない。ただ、じかに作品に接することの少なさに比すれば、福岡でこその彼の著作物をはじめ地元新聞寄稿記事や雑誌、講演やトーク、TVなどでその考えや発言を聞く機会は意外と多かったので一般にも知名度と人気は抜群だった。

もちろん1985年の福岡県立美術館の開館展以降、88年の北九州市立美術館の大規模な個展と2007年の福岡市美術館(長崎県美術館と共催)での回顧展、それに福岡県立美術館での「物語るオブジェ」展もあり、88年以降「九州派」関連の企画展や常設展でも合わせて氏の作品に「事後的」に触れることはできたが。むしろ30年間に渡って月一回福岡から上京し教えた美学校の学生や東京の作家たちそして関係者のほうが、菊畑の新作に触れる機会は圧倒的に多かったのは皮肉というべきか。

そしてもう一つは 3年半程前つまり2016年12月、福岡天神の書店 Rethink Booksでの「釜山ビエンナーレ2016」報告—アジアの中の日本・前衛・美術— と題したトークイベントでのこと。トークは、美術評論家・椹木野衣、画家・菊畑茂久馬、福岡市美術館学芸員・山口洋三の3氏によるもの。その話しの中で、今では菊畑茂久馬の代表作とされ、日本の前衛美術を語る上で重要な作品のひとつと言われる1961年の、あの二本の丸太と大量の五円玉を使った作品『奴隷系図(貨幣による)』のことに触れ、これを発表後「作家として恥ずかしい」、「この世から消してしまわないといけない」と思っていたと。このとき81歳の菊畑の口から目の前で初めて聞いたこの言葉は、僕には驚きだった。

しかし結局は東京都美術館からの依頼によって1983年の再制作となる。もう37年前になるが、僕もそれを当時の東京都美術館の『現代美術の動向 Ⅱ 』で初めて見たが、作家にとっていわば失敗作と思えた原作が、時を経た〈再制作〉によって皮肉にも代表作として位置付けられ伝説的に語られるようになってしまったのである。
むろんそれは同時に、菊畑の「絵画」への帰還と、19年の沈黙からの復帰があったことは言うまでもない。

僕はいまこうして二つのことだけを書かせてもらった。すでにメディアを始めSNS上でも多くのコメントがupされている。おそらくもうすぐ誰かが追悼文を書かれることだろう。いずれにしろ天賦の才と華のある作家だったと思う。ただ森山安英の次の言葉が離れない。「菊畑さんやらは自分の素顔を見せるようなことはないですから」(『森山安英─解体と再生』図録 2018 )。

だれもが孤独であるにしても、幼きより天涯孤独を生きた「絵描き」のそれは一体どのようなものだったのだろう。少年菊畑にとっても敗戦後75年が経ったのだ。前衛も反芸術もそして現代美術も、もう今はない。
菊畑茂久馬はこれらすべての崩壊をその眼で見届けた後、それらを静かに追憶するように逝ってしまった。
残された僕たちに、まだ〈芸術〉はあるのだろうか。もしあるとしてもそれは、どんなものなのだろうか。

五月の空は余りにも眩しすぎる。
菊畑さん、どうぞ安らかに。