元村正信の美術折々/2017-12-15 のバックアップ(No.3)


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美術折々_122

伸び悩む消費にひそむ否定性

ちょっと場違いな、と思われるかも知れない株価の話しから。

先月、11月7日に日経平均株価が2万2937円60銭となり、バブル崩壊後なんと26年振りに最高値を付けた。

それから1ヵ月以上経つが、いまも2万2600円前後で推移している。好調な企業決算、さらに法人税は20%に
下げられるという。いわゆる企業の内部留保も過去最高を更新した。なぜそれが分配へと向かわないのか。
世界景気の拡大、円安と海外投資家のマネーの流入などによって、海外に展開し続けるポスト日本の大企業や、したたかな国内の個人投資家まで、さぞや潤っているに違いない。いや、満面の笑みは隠され社会に表立っては
こないが、僕はこれを「裏バブル」と勝手に呼んでいる。

しかし一方、それでもなぜデフレから脱却できなのか。なぜ「消費」は伸び悩んでいるのか。景気の底上げは
どうして見えてこないのか。

一般にいわれる「消費者」というのはその多くは、自らの労働を売り(芸術だっておなじ)それを商品化する
ことでそれほど多くはない賃金を得て生活している私たちである。その私たちはというと賃金の伸びは前年比 0%台でほとんど上昇しないままだ。さらにマイナス金利は預金や貯金で少しばかりの利子を得るという
「方法」すら消費者から奪い取ってしまったのである。若い世代には「利子」などという感覚はもとからない
はずだ。

結局、グローバリズムの拡大は「資本と労働の分配構造」の崩壊をもたらした。
この明暗はじつは異常な事態ではないのか。

とうぜんのように私たちの消費は、生活の内実は、ネット通販や国外産の安い商品に流れ、また国産の食品などもいつの間にかサイズの縮少や味の変化といった、見えない品質の劣化が巧妙に進行しているのを誰もが感じているはずだ。たとえばファッションの崩壊。好きなものを好きなように着る。色も素材も形も、なんでもアリ。誰もが着たいものを着て、組み合わせている。流行などといったものは、あるようでない。だから安いモノへと向かう。見えがよければなおよい。

現代生活には金がかかる。というより、ほとんど日々「カネ」によっ維持するしかない。であるなら、なかなか上昇せずうまくいかない限られた収入は、限られた消費の仕方によって賢く使うしかない。あるいは一部のみ
マニアックに他はプアで。きっと個人の孤独な楽しみにも、消費の優先順位はクールに付けられているはずだ。それでも増税や保険料の義務負担が容赦なく追い打ちをかけ続ける。「景気の拡大」の実体は虚像そのものだ。たぶんそのような個人には届かない。

たとえ、何かの売り上げが伸び、何かの消費が延びても、どこかの売り上げが落ち、どこかで消費が減退しているに違いない。おそらく、これからも私たちの「消費」は伸びることはないと、僕は思う。ときに落ち込むか、
ほぼ横ばいのままだろう。訪日外国人旅行者の増加への誘致や期待は、消費閉塞のいびつな裏返しにすぎない。

過剰にライトアップされた夜の街角。冬の寒さを覆い隠すように、きらびやかで賑やかで、すれちがう知らない人さえ幸せそうに見えてしまう、12月。つねに私たちの「欲望」は刺激され、「消費」を促され続けているのだけれど、誰かが期待するほどカネは踊ってはいないはずだ。

これらの残酷な「明暗」がそのまま同時に進行し悪化する〈私たちの生活〉は、景気の拡大という虚偽と欺瞞のむなしき報告は、きっとこの街のどこかで、見えない無力な個人によって否定されているのではないだろうか。

だから、「消費」の全体は伸び悩み続けているのだと僕は思う、これからも。