元村正信の美術折々/2019-03-16 のバックアップ(No.2)


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おにぎりと芸術

きょうは久しぶりに「おにぎり」を買って食べた。これがいけなかった。その味に反発し、おにぎりを引きずり考えることになってしまった。炊いたご飯を握ってつくるあの「おにぎり」のことを。たぶんこれは、美味しいとか不味いとかいう問題ではないのだ。

今では店頭などで大量に販売もされているから、単にひとが “ 握った” だけでなく製造機械で成形、型押しされたものもある。さらに最近ではパックにご飯をそのまま盛り、その上に鮭などの具材を乗せただけのものを「おにぎり」とラベル印字し販売している知恵者もいるらしい(笑)。握るのは、あなた。

じゃあ、「おにぎり」の定義って何だろうと思ってみたくもなるが。まあそれは置くとして。要するに「おにぎり」業界も、なんでもありなのだ。もしかしたらそれは米でなくてもいいし、どんな具材もありだし、握っても握らなくとも、形だって自由だ。1個0円もあれば2500円のものもあるという。すでに「おにぎり」は崩壊したのか。していると言えるし、していないとも言える。

では何が残っているのか。それが極上であろうが最低であろうと、つまり「おにぎり」という《形式》なのである。

いま僕は何に触れようとしているのだろう。そうだ、またしても《芸術》の問題なのだ。「おにぎり」と「芸術」は、互いに食と創造を逸脱しながら、きわめて似た問題を抱え込んだまま日々消費にかまけているのである。(続く)