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美術折々_185
いっそう奮闘されたし、わが身
新年の、明るく晴れ渡った空。仮にもそう言えるのは、この僕が、ぬくぬくとした部屋から何の屈託もなく外界の冬の静寂を他人事のように眺めていられるからだ。澄み切った青い空というのは、僕ひとりの頭上にしかない快であり、狭小な心地よさの反映に過ぎない。
たとえば今この時刻にさえ、ただそこに私は生まれなかった、生きていなかったというだけで、迫害の、貧困の、腐臭の、地獄としての修羅場があり、そこから見上げる空のことを想えばよいだろう。
いやたとえ空があるにしても、どのようにしてしか、空はあり得ないのだろうか。
おそらくそのような場所から見れば、「ぬくぬく」とした光景はまさに不快そのものとして映るかも知れない。そこではいったい何が希望で、なにが絶望なのだろうか。僕にはその違いというものがよく分からないままだ。
小さな子供たちでさえ、この世界が希望という励ましや甘言だけでは立ち行かないことを、やがて知るだろう。しかしそこにもまた、それでも絶望してはいけないんだ、というこの生活世界を叱咤激励する虚偽が、微笑みながら待ち構えているのである。いまや希望は虚言としてしか語られず、さらに絶望すら持ってはいけないと教えられる私たち一人ひとりに、世界はどう立ちはだかっているのか。
どうやらやはりここでも私たちは、希望というまやかしでも、絶望という虚無ともことなる〈世界〉をどこかに
思いえがき、築く必要があるのではないだろうか。
「芸術」もまた、いっそう奮闘されたし、と。
まずは新年の、肝に銘じつつ。