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美術折々_136
射す春の 影を背負いて 樹いづこ 鉄球
僕がここを通ったのは、たしか1週間ほど前だったろうか。
その時そこには、ゴツゴツとした灰色の砂利を敷きつめた円形の痕跡が確かにあった。でもこの日に見た
舗道上の円形のなかにはすでに砂利はなく、鮮やかな赤茶色のカラーアスファルトで塞がれていた。
強烈な違和感である。しかし、じつにあっけらかんとした「身も蓋もアル」ベタな補修ではないか。
この「円形の痕跡」とは言うまでもなく、かつて大きな街路樹が植えられていた場所である。
枯れたのか、それとも何かの理由によって撤去された後、長いあいだ鋳鉄製の保護板だけが残っていたと思う。結局その街路樹の跡には、写真のような日の丸にも似たベタの切り抜きが突如生まれたという訳だ。
赤瀬川原平ならこれを見て「超芸術トマソン」といっただろうか。
僕にはむしろ、ここにはないけれど、どこかの「芸術の残骸」を、ここに移設し埋め込んだように見えてくる。街路樹なきあとの円形の痕跡は、単なる「無用の長物」となってしまったのだろうか。
そこにはその時間、すぐそばの樹々の影がおちていた。樹木なきあとに別の樹々の影とは、皮肉が過ぎると
いうものだ。笑うに笑えない妙な哀しみに、射す春の陰影もまた、あっけなきものだとおもいつつ撮った
一枚だった。