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美術折々_82
あたらしき歩み
昨年暮れの「屋根裏貘」に続き、年明けの1月4日に隣りの「アートスペース貘」が、1977年の開廊から
40周年を迎えた。よくもここまで持ちこたえたなあ、というのが僕の正直な感慨である。
これがもし、最初から貸画廊オンリーの、どんな作品でもありの単なる街の画廊だったなら、
ここまで続かなかったと思う。
当初からその時代の空気を反映させた、実験的な「現代美術」を意欲的に紹介しようとするアートスペース貘の
スタートは当時、地方の前衛気分がなおもくすぶる九州派的な反芸術の残滓や、幻想や情念といった後退性が充満する福岡の美術状況からすると、まったく異質で、それまでになかった新しいオルタナティブなスペースの
誕生だったことは間違いない。
「アートスペース貘」の特異性は、貸画廊でも商業画廊でもなく、かといって企画のみのギャラリーでもない
ことだ。だから基本的に作品を売買することで、その経営が成り立っている訳ではない。ご存知のように隣りのカフェの「屋根裏貘」の収支によって、画廊の独自性とその独立性を支え続けるという仕組みがずっと貫かれてきたことを見落としてはならないだろう。
むろんそれを可能にしたのは、オーナーである小田律子という稀有な存在があってのことだ。
美しくあの細い華奢な体からは想像もできない、いわば鉄人なのである。人に不屈の精神と肉体というものが
あるのなら、それを彼女に当てはめてもよいと、僕は断言できる。
しかしこの40年という時間は、すっかり「現代美術」というものを変質させ、崩壊させてしまった。
美術における既成概念の否定や抵抗といった精神や態度は、まるで他人事のように扱われ、忘却の彼方へと
押しやられてしまったのだろうか。
だが、〈明日なき画廊〉をかかげ出発した「アートスペース貘」は、いまも変わらずここに在る。
明日なき画廊の「明日なき」とは、確かに刹那的な名付け方ではあった。
(当時その名付けにも関わった僕だが)それは、ずっと続いて欲しいが、待ち受ける困難さを思えば、
そう長くは続かないだろうという自虐的な意味を込めていた。
明日なき画廊の40年。その画廊の歴史は、いまだほとんど誰からも語られてはいない。特に1970年代前半まで「現代美術」というものに焦点をあてた画廊がなかった福岡に、初めて誕生したこの先鋭的画廊が、これまで
果たしてきた役割は、けして小さくはない。
その重要さを考えると「現代美術」が崩壊したこの時代にあっても、なお年間25本もの意欲的な展覧会を毎年
継続して開くことのできる画廊と、こうして共にいまも歩むことができることを、僕は幸運におもう。
そしてさらに、これから登場するであろう若き作家たちの誕生とともに、私たちここを訪れる者にとって
見応えのある個展を、これからも企画し提供してくれることを切に期待している。
本当に、おめでとう「アートスペース貘」40周年。そして41年目である、今年の始まりに。