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美術折々_29
聖なる夜 、を前に
「死んだとき、もはやぼくは他者の記憶のうちにしかないが、他者も死んだ後では、他者の記憶のうちにしか
残らない。人間はこの空しさを『分有』する」と、ジャン=リュック・ナンシーは『無為の共同体』(以文社)の中でそう語っている。
つまり、私たち人間は「記憶」を共有しているのではなく、そういう「空しさ」を分け合う存在だと、言って
いると僕は思う。
「経験できないものの経験」「不可能な経験」として〈死〉というものを考えていたバタイユなら、そんな
〈不可能性〉こそが分ち合うに値する、と言うのではないだろうか。
12月を待ちかねたように色めく日本のクリスマスの、過剰な賑わいは、たった一人でいることの孤独や寂しさというものを、いっそう際立たせてくれる。しかし、そのことが空しいのではない。溢れるほどの虚偽や欺瞞、
搾取に被われた平穏な日々に、不夜のようにきらめく光りが、なおいっそう私たちを鼓舞してくれる、そういう
皮相な夜のことを、僕は言っているだけなのだ。
そして、レヴィナスはいう。「夜の目醒めは無名である」「目醒めているのは夜自身なのだ」と。
もしも、この世に聖なる夜というものがあるのなら、まさにそれは〈無名の夜〉から溢れ出す、小さきものの声なのではないか。
通りの名など、変えたければ何度でも変わればいい。それでも希望は今夜にもあふれ、見知らぬだれかを照らしてくれるだろう。
2015年12月24日。屋根裏「貘」は、開店39周年を迎える。
アートスペース貘とともに、小田 満・小田律子、そして歴代の若きスタッフの、苦闘の軌跡を祝いたい。