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アートスペース走り書き_01
小島拓朗「affair」
今年から始まったこの小コラム「アートスペース走り書き」。
1回目は、若手画家・小島拓朗の個展[〜1月19日迄]から。
木製パネル、綿布、白亜地に油彩で描かれた絵画。それらは猥雑とした都市の遠景だけれど人影はまったく見あたらない。この寂寞感はどこからくるのだろう。彼がいう「不安定で空虚な思いを克服したいという望み」が「現代」のものなのか。それとも彼ひとりのものなのか。
埋めようのないわびしさや物哀しさは、きっとだれにもあるだろう。そしてだれもが見ているけれど、名乗ることのない匿名の眼差しがここにはある。その「風景」には妙な静寂とどうじに隠れた反感が潜んではいないか。
小島拓朗の絵画は、映像をとおして見るような既知のリアルさを持ちながら、むしろそのリアルさを打ち消し否定するように描かれている。それを写実絵画の超絶的なリアルさと比べてみればいい。たとえば同じモチーフを描いたとしてもベクトルがちがう。つまり描く志向性がすでに違うのである。ここには完成度や美への崇高さとはことなる、むしろ反写実的な「負の痕跡」としての風景が現れているように僕には見える。それを彼が意図しているかどうかは分からないが。
これらの作品にも見られる、くぐもった不安や空虚を、はたして私たちは「克服」できるのだろうかと思う。
とあるビルの上から眺められる、似たようなビルの群れのなかにいる一人のワタシ。
そこに注ぎあるいは注がれる眼差しは、匿名のままいつまでもこの都市をさまよっていられるのだろうか。
(元村正信)