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美術折々_300
非天使(テンシニアラズ)
いまさら言うまでもないが「天使」は神の使い、伝令として神と人間とを媒介する役割として生まれた。いまだその「神」を信じようが信じまいが、天使というものはそれよりももっと空想のイキモノあるいは現実の比喩として、この現在を飛び回っているように思える。
しかし私たちイイトシをした大人が、「天使」というものをそうかんたんに撫でまわす訳にはゆかない。すでに神は死んでいるにせよ、かつて石牟礼道子が詠んだように「祈るべき天と思えど天の病む」ことが誤りだったと、だれもいまだ覆せてはいないのである。
つまり「天」も「神」も、そして世界はいっそう病んでいるのだ。だから天使はこの現在にあって〈非天使〉として人間と人間以外の何かを媒介する仮象として現れることになると僕は思っている。それゆえに「この空しきを礼拝す」(石牟礼道子)ということになろうか。
さてこれから先である。礼拝と抵抗の同時性。《非天使》テンシニアラズとは、どう僕の「作品」において現れるのだろうか。