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美術折々_293
のようなもの、断片
このところ培養肉や代賛肉といった人工食材の動きが目立つ。これらは「フードテック」と名付けられ、先端テクノロジーを使って新しい食品や食材を作ろうとするもの。話題となっている「代賛肉バーガー」をはじめ麺類、おにぎり、丼などの新商品が発売されるという。これらの材料は「大豆ミート」と呼ばれ、大豆を100%使用。その油分を搾油して過熱加圧・高温乾燥させ加工し味付け・成形してつくられている。
特に外食やコンビニなどのメニューや商品に導入されている。「健康にも環境にもやさしい」というキャッチだが、一方で加工に手間があかり、価格もいまのところ高めらしい。背景にあるのは世界的な食料需給への懸念というが、じつはこれまでの食肉市場に加えあらたな人工的培養肉や代賛肉市場の開拓拡大に世界市場が乗り出したという訳だ。
すでに代賛肉には「肉と変わらないおいしさ」や「肉よりうまい」という評価もあるようだ。これから次々と代賛肉を使った新しい食品を私たちは食べさせられることになる。
しかしである。本来、肉を食べたい、肉が入った食品を欲していたはずなのに。肉のような食感や味はするが「肉ではない」ものを、なぜ食べねばならないのか。健康にも環境にもイイからというのは、代賛肉を使用する理由になるのだろうか。そもそも日本の大豆の自給率は7%で、国産食用大豆は自給率25%程度に過ぎない。つまりここでも輸入依存は変わらないということだ。
畜産物以外のタンパク源としての、大豆を主原料とする「代賛肉」商品の数々。肉ではないが、肉の味がするもの。牛の細胞などを培養してつくる肉のような「別の肉」。私たちは、何を食べたいのだろうか。何を食べようと欲しているのだろうか。欲しているものを求めているのか。そこには「のようなもの」ばかりが溢れる現在。
芸術も美術も同じかも知れない。芸術のようなものを欲して、美術のようなものを見ている。いやアートそのもがすでに何かの代賛であり、代賛品なのかも知れない。
私たちの感覚は感性は「のようなもの」を、嗅ぎ分けながら先へ進まねばならないのだ。