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美術折々_285
何も知らずなにも
1972年の小田律子。
若い小田夫妻が始めたばかりの喫茶「貘」の当時のカウンターの1ショットが出てきた。
絵にかいたような学生街の喫茶店そのものだった。
その4年後には、福岡市中央区天神3丁目に現在の「アートスペース貘」と「屋根裏 貘」をオープンさせる。
そこに小田律子がひとりで移り、歴代の若いスタッフたちとともにここを切り盛りし現在にいたるという訳だ。
しかし僕はこの写真を見て愕然とした。じぶんの記憶というものに。その不確かさに。
この笑顔が思い出せない、いや彼女のすべてを。
たしかに僕もそこにいて、その笑顔を何度となくこのカウンター越しにの見ていたはずなのに。
それでもここにあるのは笑顔だけではない。
しっかりと遥か先を見つめている大人びたひとりの若者がいた。
僕はいまも変わらず小田律子を見つめている。ずっとこれまでその繰り返しだったのに。
ありていに言えば、彼女の苦も歓びもそして哀しみも見てきたはずなのに。
何も知らずなにも覚えてなどいなかった、というべきか。
でもこの写真が出てきたから。
僕はもう、1972年の小田律子の笑顔を忘れることはないだろう。
こうして思い出というものはある日始まるのだろうか。
Tagashira ©︎