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美術折々_284
空白の台座 あるいは 彫刻という平和
彫刻家・彫刻研究者の小田原のどか が、西日本新聞 7月2・3日付 朝刊文化面に『「平和」の彫刻をめぐって』(上・下)という文章を寄稿していた。
小田原は、長崎市の平和公園にある北村西望のあの「平和祈念像」を軸に、なぜそこに「平和」という名の様々な彫刻があり、そしてここでの「平和」とはいったい何を指すのか。なぜ人間が彫刻を必要とするのか、と問うている。さらに「長崎ほど過去との対話に適した場所はない。なぜならそこに彫刻がある。彫刻とはそのような問い直しをこそ、時間を超えて喚起するものである」という。
もちろん何も長崎だけが「過去との対話」に適している訳ではないが、なぜそこに彫刻は集中して設置されたのか。またなぜ「彫刻」でなければならなかったのか、を考えると私たちはこの一見平和にも見える現在からあの戦争へ、またそれ以前へと必然的に引き戻されることになる。戦争、植民地支配、原爆。そしてそれらを総括しているはずの「反省」の内実へも。
だとしても、なぜ ナガサキ にはそのいずれをも貫いてここに「平和」の標榜があり、またなぜそれに「彫刻」は直截に関わってきたのか。さらに今も公共空間の中に恒久的にあり続けるているのか。小田原は、昨年の「あいちトリエンナーレ2019」でも問題視された中のひとつ韓国人作家たちの「平和の少女像」(慰安婦像)をも引き合いに出しながら、平和という言葉が孕む虚偽を見つめ直そうとしている。
小田原のどかはまた『群像』7月号に寄稿した「彫刻の問題」においてもその「平和祈念像」を中心に、そのような「彫刻の前で頭を垂れる必然性はどこにあるのか」と、さらにいっそう平和や祈念というものを批判的に問い詰めている。さらにまた別の彫刻においても、ある「台座」の上に設置された作品が 戦中には軍人像であったものが、敗戦後には女性の裸体像にすげ替えられたという事実にも言及している。〈戦後〉というがいったい何が変わったのか。つまり戦争は平和と地続きであり「ねじれ」たままこの平和と言われるものに接続されていることに再考をうながすのだ。
さらに彼女は、彫刻家・高村光太郎の『乙女の像』に寄せた詩にある「だまって立ってろ」という男性主体の言葉を「まったく反転させ」、女性であるじぶん自身に「裸婦像」そのものを重ね合わせながら、この奇妙なねじれを体ごと受けとめそれに応えようとしているのである。つまり自分の彫刻の問題としても、裸婦と軍人を否定的に同一化しようと試みるのだ。
以前、小田原は自らが編集・造本・発行した著書『彫刻 1』(2018、トポフィル)において、「唐突に断言しますが、彫刻は破壊されるときにいちばん輝きますよね」と発言していた。これは公共空間に据えられた彫刻が恒久設置されていることへの「恐怖であり抵抗なのかもしれません」と語っているように、ここにも「平和」の彫刻をめぐる偽善・欺瞞への不信があることは間違いないだろう。彼女が「彫刻は破壊されるときに」いちばん輝くというとき、小田原が 彫刻というものへの破壊の衝動をどこかに抱いているのではないか、と僕はおもう。
それは彼女自身が、彫刻家であることとなんら矛盾するものではない。日本という近代の「彫刻史」を貫いてきた、記念碑・銅像→野外彫刻→台座の消失→偶像化への流れへの批判は、小田原にとっては逆にこの国の彫刻のはじまりを問うことであると同時に、みずから打ち倒すべき「空の台座」あるいは〈空白の彫刻〉への探求の回路をまさに開いたと言えるだろう。