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美術折々_278
限りなくゼロに近づく問題
再び「2135年問題」、といってもこれは僕がそう呼んでいるだけだが。
国立社会保障・人口問題研究所が公表した『日本の将来推計人口ー平成29年推計』(2018年3月31日発行)によると、総人口に占める15歳未満の子どもの推計人口は2015年では約1594万人だったのが、100年後の2115年には約259万人になるであろうと予測していた。
つまり「年平均約13万人」減少して行くとすれば、さらにその20年後の2135年にも15歳未満の子供は限りなく推計では0(ゼロ)に近づいていることになるからだ。ただこれは「15歳未満の子ども」の数のこと。
そして先日、6月5日の厚生労働省発表によれば、2019年の日本の「出生数」は86万5234人で、ここ数年は毎年2〜3万人減だったのが昨年はその前年比で5万3166人も大きく減っている。これは国の予測を超えて加速化しているということだ。ここでも単純に考えていくと、平均年間3万人減だとしても今後約30年でこの国の「出生数」は、限りなく0(ゼロ)に近づいていることにならないか。
もちろん、どこまでも子供は生まれ続けるだろうけれど、限りなくゼロに近づくというしかない。もしかしたら15歳未満の子供の人口の「ゼロ年」は、もっと早く100年後を切るかも知れない。ことし2020年は、新型コロナウイルスの影響もあってさらに出生数は下降するに違いない。
出生数が大きく減少する一方で、反比例するかのように膨らみ続ける赤字国債という名の国家的、国民の負債。
ソーシャル・ディスタンシング、いわゆる「人と人との物理的距離を保つこと」は結果的に、生が孕むものつまり〈生〉そのものへの距離を取ろうとしてはいないだろうか。この青空の白昼の下で、マスクもなしに愛し合い抱きしめ合うことの困難さ。なぜそれがはばかられるのか。
そうではないはずだ。生が孕むもの、〈生〉そのものに距離などないはずだ。だが次々と私たちの生はリモート化され、オンライン化されていく。じつは IoTとはモノのインターネット化ではなく「ヒト」のそれなのである。生は、この肉体は、どこまで必要とされているか。「2135年問題」とは私たち人間の〈生〉が どう必要で、いかに不要かが、ひそかにあるいは公然と試みられている現在のことなのだ。