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美術折々_266
謎の自信の女の子
いま感じている、この得体の知れない〈空虚感〉、虚しさといったものはいったい何だろう。
拡大する感染者数、そして国内はもとより世界でも多くの死者が出ているというのに。
さらに広がる院内感染と医療崩壊への不安も重なって。
しかし思うに何よりも厄介なのは「無症状」という、自分が感染していていることすら分からないことだ。
それは誰もが感染しているかも知れないのに、発症しないという可能性のことでもある。
つまり「元気」だと思っていられるということだ。これを専門家は「見えない感染」だという。
だったら「感染を減らしていく」というのは、偽りのスローガンにはならないのか。
であれば、この見えない感染はほとんどの人間にまで及んでいくとしても何ら不思議ではない。
僕が先に〈空虚感〉といったものは、もしかしたらこの無自覚なまま感染しているその無症状さから来るのではないだろうか。それがじぶんのことかも知れないのに、なぜ〈空虚〉に感じるのだろう。
あるTVのインタビューに答えて、じぶんはかからないと信じている若い女の子がこう言っていた、
「謎の自信があります」と。そう「謎の自信」、これこそ無症状であり見えない感染の裏返しでもあるのだ。
つまり、生活の死も肉体の死もすぐそこにありながら、それでも生も死も遥か遠くにあり、なんら共有されてはいないということになる。
「謎の自信」は孤立した孤独とでも言ったらいいのだろうか。
先の見えない感染拡大の恐れや困窮への不安が高まりながら、いっぽうで感じる〈空虚〉こそ、
「見えない感染」が広がっているということから来るのではないか。
たまたま、重症化せず死ななかっただけだ。いま「健康で元気」と言い切れるとしても、どこか虚しい。
感染が終息するのではない。無症状の「見えない感染」が、感染しきった時、私たちはこの未知の経験をやっと振り返ることができるのだろう。
でもそのとき。たとえ世界のすべてが安堵したとしても、この〈空虚感〉は、はたして埋められるのだろうか。無力な虚しさが残らないとは誰も言えない。