……………………………………………………………………………………………………………………………………
美術折々_227
異常と日常の混濁
夏休みの終わりに、梅雨のような豪雨。
もう「異常気象」などと誰も言えなくなってしまった時代。
すべてが異常であり、それが日常となってしまった。
終わることのないテロ。さらに経済戦争と圧力の応酬、そして荒れ狂う気象の猛威。
私たちはそのどれもから、たやすく蹴散らされる。なぜこうも無力なのか。
無力であっていいはずはないのに。
とっくに希望は過ぎ去り絶望さえしてはならないと励まされ。
行き場もなく、異常と日常の境界もなく。それでも、きょうを生きねばならない。
よりよく生きたいだけなのに。日々はさらに悪くなり、嘔吐も枯れ果ててしまったよ。
なぜ力強さや残酷さだけが優遇されるのか。清々しさや、か細さは足手まといなのか。
それでも芸術は、ほんとうに必要なのか。なぜ必要なのか。
きょうを生きるためにもし芸術を犠牲にすることで、明日こそいい日が訪れるなら。
僕は、芸術など廃絶されても構わないと思っている。
だが明日は約束されないから。その不幸というものによって、芸術は自らの「明日」への必要を問い詰められているのだ。