美術折々_180
冷泉荘で見た、山口 巧の写真
12月10日まで福岡市博多区上川端の冷泉荘ギャラリーで開かれている、安東千聡・浦田怜那・徳田健・山口 巧の、4人の若手写真家たちによる写真展『反射した視線』。その中でも山口 巧の作品『見えない/待つ』は、ことし精力的かつ多様な発表を試行してきた彼の写真の中でも、僕の目にはむしろ、“ 絞り ”の効いた禁欲的な視線すら感じさせた。今回の作品に添えた山口 巧の短いコメントをあげておこう。
「あの時、突然起こった出来事は今、その出来事が起こった時まで『待つ』行為を行っている。経験者ではないので、想像しながらその先を向き考える。見えるようで見えない、場所をいつまでも意識しながら」。これは一体なんのことだろう。8点の写真というか、あるいは一つの写真というか。それをじっくり見ていくと、やがて彼のその言葉と写真、そしてそれ以前の出自とがつながってくる。
つまり、『見えない/待つ』は、ナガサキのことなのだ。山口は言う。「あの方角に向かってカメラを」構えたのだと。だからと言って、ここでことさら「ナガサキ」をいう必要はない。「作品」をそこに置くということへの、心にくいまでの場所へのディテールに対する過剰な配慮。だからそれぞれの写真はひとつ一つのもの以上の、緊張を孕んでしまっているのだ。
なぜ、いくつかの写真はカールしているのだろうか。格好よすぎはしないか。「もしかしたら撮る動機に自身の意思などはどこにもなく」と、10月のテトラでの個展で彼は語っていた。ではなにが山口 巧を〈写真〉に向かわせているのだろう。1995年長崎市生まれ。僕にとっては錦戸俊康いらいの、ここ福岡で久しぶりに出会えた若い写真家だ。これからを、たのしみにしたい。