元村正信の美術折々/2018-10-14 のバックアップ(No.1)


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美術折々_171


絵画の〈外部〉から生まれるもの


個展を前に、いまこうしてそのための絵を描きながら改めて思うことなのだが。僕の場合「絵画」というものは、あらかじめ絵のモチーフや主題といったもの、あるいはテーマというものがあって絵を描いている訳ではない。いつもそれらの絵は「絵画」の〈そと〉からやってくる色んな力によって出来上がってくる。だから一般によく言われるような、自己の内面から湧き上がるものや心象風景などといったものとは全く異なるのだ。いってみれば〈絵画ではないもの〉が、僕をしてここにある絵画を描かせているとでもいうのか。ただそれが「絵画」という形式である以上、だれが見ても絵画にみえてしまうのは当たり前なのだが。

もうすぐ出来上がるであろう絵は、もしかしたら絵ではない何かかも知れないし、絵以上に「絵」であるかもしれない。少なくとも僕にとって、もはや「絵画」は絵画自体から生まれることはない。むしろ絵画を必要としないものの中から、あらたに「絵画」は必要とされ生まれてくるだろう。