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美術折々_83
荒ぶる初春の夜空に
福岡市博多区須崎のアートスペース・テトラで明日16日(月)まで開催の、高橋あさか(北九州市出身、福岡市在住)の初個展は、まだ21歳の美大生でありながら、すでにみずからの世界を披瀝できるほどの濃密さをたたえていた。
それらは段ボールやパネル、キャンバスに描かれた、取りあえずは「絵画」と呼んでもいいのだが、それよりもここに描かれている主題というか、関心というべきか、その痛切な辛辣さは、そこに収まり切れない才能を感じさせた。
たとえば、春画の引用や、萌えキャラのマンガやアニメからまるで飛び出したような、カワイイ少女のエロ的群像が、過剰なほど壁面に溢れかえり、その上には聖なる白い雪か、あるいは精液を連想させる無数の斑点が画面いっぱいに飛び散っている。こう紹介すると、今どきの、いかにも既視感あふれた萌えいずる絵のようだが、
それらとは少し違う。
さらにもっと、僕の関心をひいたのは連作ともいえる、映画の拷問シーンを切り取ったという絵画だ。残虐の
恐怖におののく人の顔や上半身を比較的リアルに描いたその上から、皮肉を越して痛烈な「LOVE AND PEAC」
の、太く鮮やかな黄色やピンク色の文字が、絵筆で殴り書きされているのである。
いかがだろう。こう紹介しただけでも、この作家の尋常ではない才覚というものに少しは気づいていただける
だろうか。
そして作品のあいだに貼られた、作家じしんの手書きによる作品についての走り書きのような文章も、じつに
興味深い。タイトルとも取れそうな、《コンドームみたいに薄っぺらい愛と平和のために》という言葉は、
「チープで陳腐な」LOVEやPEACを自ら唱え、絵の上に改めて「書く」ことによって、通俗化しきった「愛と
平和」を否定し批判している。そのどれもが、自己肯定を良しとしない。
まさに虚しき現代文化への批評に成りえているのだ。
高橋は、「フィクションの中にリアルな痛みや感覚を感じ」るという。それはおそらく、この若い作家が例えば「愛と平和」という美辞麗句の虚偽と欺瞞を指弾したうえで、私たちの現在が同時に虚構でもあることを、鋭敏に嗅ぎ取っているからに違いない。
また一方でこの作家が、多分に早くから「描く」という行為を通して成長し、またいわゆるサブカルチャー
オタク文化、さらに村上隆や会田誠らの影響を受けているであろうことは想像に難くない。先の文章や会場に
置かれた関係資料にも九州派といった「反芸術」や、かつての「現代美術」への関心も旺盛なことが伺える。
しかし根源的にそれらとは何か異なるものが、この作家にはある。それが何なのかは、いまは分らないないが。
この初個展で、その作品の完成度や未完成、あるいは見せ方を、どうこう言うのは性急すぎる。
それよりもここには、はち切ればかりの荒ぶる魅力が充満していることをまずそのまま受けとめるべきだろう。
そこには、この世界の息苦しさから何かがはみだし、にじみ出ている。まるで血へどを吐くかのように、
彼女の絶叫にも似た若き〈肉声〉が、たった今もこの冬の夜空に苛烈に飛び散っていることだろう。
あらゆる虚偽と欺瞞に向けて。