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美術折々_66
これからの、これから
福岡市美術館のリニューアル休館前最後の「現代美術展」という、特別企画「歴史する!Doing history!」
を見た。参加作家6名。特別展示室B、市民ギャラリーA、B、C、D及び館内周辺を使った展示。(8月31日迄)
静かな会場を巡っていると突然、ひとりの監視スタッフから促されるように声をかけられた。
「あれも作品です!」と。見過ごさないよう、きっと親切からなのだろう。もちろん僕も分ってはいた。
ただどうでもよかっただけなのだ。
しかし改めて「あれも作品」と呼びとめられるのも、どこか妙に懐かしい。この20年のあいだに「現代美術」というものは、すでに「崩壊」したと僕は何度も言ってきた。この懐かしさはきっと、何かを失ったものの
それだったに違いない。
そもそも作品との出合いとは、自らのなんらかの気づきにあるはずだ。いわば発見ではなかったのか。誰かから先に、その発見を教えられるということは、体験としては残念なことだ。こういう親切すぎる時代なのである。
その意味で今展を見てとまどいもあった。たしかに「脱構築」的な作品の作家たちは、かつて見た「現代美術」的と言えなくはないのだが、その中でふたりの写真家、とくに田代一倫の「写真」を、すでに崩壊しているに
せよ「現代美術」として〈見る〉ことは僕にはどうしてもできなかった。もちろん、なにもここで「現代美術」というラフなフレーズにこだわる必要もないだろう、と言われるかも知れない。
だが写真家・田代一倫の作品を僕なりにこの10年ほどのあいだ何度か見てきたのだが、近年の田代一倫への評価は、おそらく「現代の写真」から欠落したもの、あるいは「現在の写真」が疎外してきたものが、彼の写真には、かなりナイーブな「表現」として残存しているからなのではないかと僕は思っている。それは単なるポートレイトとは明らかに異なるものだ。それだからこそ田代の写真と「現代美術」はすれ違っている、と言って
おきたい。
そしてもうひとり。今展でも最も問題を孕んでいたのが飯山由貴の映像作品だ。
それは、知る人は知っている津屋崎の旧玉乃井旅館に住むある男性へのインタヴューと、その家で近年見つかった祖父が所有していたとされる数点の「戦争画」による展示である。男性は淡々とした冷静な語り口で、祖父と自身である孫との関係、家というものを、日本という近代から戦争を挟んだ戦前と敗戦後を通して貫通する日本人のある種の「無意識のねじれ」を説いていた。それに近いことを柄谷行人も『憲法の無意識』(岩波新書、2016)の中で触れている。
抑制のきいたインタヴュー。飯山由貴は、よくこの男性の思慮深い価値観を引き出していた。いいドキュメン
タリーになっていたと思う。ずっと立ったままその映像に惹き付けられた。
しかしである。これはドキュメンタリーには違いない。だがはたして「美術」なのだろうか。「アート」と呼べば済むのだろうか。例えば、ひとつの名付けようのない「作品」を前にして、私たちは右往左往するはずだ。
そこに何かを発見するはずなのだ。飯山由貴の作品もまた、そのようにあればいいのかも知れない。
帰り際、「あれも作品です!」と、はじめに声をかけられた妙な懐かしさを思い返しながら、長い休館直前の
福岡市美術館を後にしたのだった。暑かった夏も、もうすぐ終わるだろう。