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美術折々_59
いったい何が、ほんとうに 「ひどい」のだろうか
「東京もひどいけど福岡の状況は特にひどいね」と、福岡のある画家が新聞記者に語ったという。
僕は直接聞いた訳ではないので真意の程はわからないが、どうやら「福岡市が文化・芸術に予算を使わなく
なったことを批判」 してのことらしい。本当にそうなのだろうか。では、例の福岡市美術館のリニューアル
「予算」は、どうなるのか。
何度も言うが、このリニューアル経費と向こう15年間の民間運営費を合わせた落札額、99億8800万円超の金はどうなのか。これは民間を通した「借り入れ」ではあっても明らかに福岡市の、市民の、文化・芸術「予算」であることに違いはない。論議されるべきは、このようなPFI方式が採用されてしまった以上、福岡市美術館の
リニューアル後に、どう影響を及ぼすのかということではないだろうか。
確かに、新しい市民会館や市科学館を含めた施設の新設に金をかけてばかりのいつもの「箱モノ」事業への批判はあるだろう。厳しい財政状況は福岡市も例外ではない。さまざまな「規制緩和」という名のもとでの、行政にかかわる運営への民間事業者の参入は、極論すれば「予算の民営化」とも言える。つまり経費の調達を民間事業者に委託し、そのかわり運営をも任せるということだ。
そういった「予算」の使われ方は、すでに「福岡市が文化・芸術に予算を使わなくなった」などといった、素朴な次元の問題ではなくなってしまっているのだ。もっと問われるべきは、文化・芸術の、運営や事業方法、その内実なのではないだろうか。
これもよく聞くことだが、「福岡の状況は…」という言い方がある。僕にいわせれば、「状況」などどうでも
いいのだ。美術の状況をいうなら、福岡を拠点に活動する作家たちが、まず個展をし、発表をし、発言を繰り返せばいいだけのことではないのか。もし福岡が駄目なら、東京もあるし、日本が駄目だと言うなら、海外へ出て行けばよいだけの話しだ。
さも「福岡のアートシーン」や「福岡の現代美術界」などといった幻想を語り、それらがまるで「在る」かの
ような錯覚を吹聴する作家や関係者がいることを、僕は知らない訳ではない。いったい何が本当に 「ひどい」
のかを、教えてほしいものである。
自らの足もとを省みない作家に、「状況」など無縁のものではないのだろうか。いかがだろう。