元村正信の美術折々/2016-02-24 のバックアップ(No.1)


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美術折々_41
 

石牟礼道子の、「苦海」のほとり

2月22日(月)付 日本経済新聞「夕刊文化」の中の、 『語る』 という小欄は、作家の石牟礼道子を取り上げていた。

僕などが、いまさら生半な修辞や装飾を加える必要は何もないだろう。もうすぐ89歳を迎える石牟礼の言葉を
改めて抜き出してみよう。

(60年以上前の、水俣病の当時の患者と) 

「今も一緒にいるという感覚です。その思いは人には伝えられません。(患者との間でも)お互いに伝えられ
ないのです」

「この世での精神的迷子という、困ったことになりまして。いよいよ一人になったなあ、という気持ちです。
この2、3年は本当に孤独で、書いても面白くない。近代とは何だったのでしょうか。人生の行き場がなく、
帰るところもない」

「人類が抱えてきた、とても越えられないような問題を、私たちは全部背負い直して生きていかなきゃ
ならない。東西古今の聖人にも越えられなかった“峠”を越えなきゃならない」。

インタヴューから引き出されたこれらの言葉を読むと、石牟礼道子はこころの底から途方に暮れているのだろうと思えてくる。自由の利かぬ身の、みずからに残された差し迫る時間を、知ってのことかもしれない。

昨年だったろうか別の記事で、
彼女は 「現代に生きるわれわれが許される。それでいいのかしらと思いますね」とも語っていた。

これは水俣病患者の杉本栄子が亡くなる前に、石牟礼に会いに来て言った 「全部許すことにした。その代わり
苦しみを全部あの世に持って行く」 という言葉に、胸をふさがれてのことではないだろうか。
もちろん「全部」とは、当時のチッソであり、水俣病に向けられたあらゆる差別や、世間である私たちの現在
までのことである。

精進の果ての「浄土」であるはずの、あの世。だが、私たちは罪を「許された」代わりに、私たちの手で
「あの世」にさえ痛苦を押し着せたことにならないだろうか。救済というものはここには届かない。
そこではあらゆる宗教もまた無力だ。

いまさらながら、『苦海浄土』という名を天に仰ぐとき、その残虐が強いたものの前に私たちは、ただただ
立ちすくむしかない。

「生きるわれわれが許され」ていいのかという、最後まで石牟礼道子に突きつけられた刃先は、安穏と生き
延び続ける私たちにもそのまま向けられていることを知るべきだろう。
彼女の、いまもって、か細き言葉は、そう言い残しているのではないだろうか。