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美術折々_40
孤塁の上のこと
ときどき好き勝手に、いわゆる「現代美術」以後のあらたな〈美術〉を試行しながら、ここ福岡での身近な見聞や日頃の思いなどを書かせてもらっている『元村正信の美術折々』も、この2月で1年が過ぎた。
昨年春まで、僕はある全国紙の西部版(九州・山口・沖縄地域)の文化面に「美術」展の短評を月一回、
13年間に渡って寄稿させてもらっていた。おもに福岡を中心にしか取材できなかったが、その間毎週、個展や
企画展に足を運び多くの展覧会を見る機会を得た。なかなか新聞では紹介されにくい若い作家たちの仕事を中心に紹介することも少しはできたし、じぶん自身、勉強にもなったことは、とても幸運だったといえるが、
一方で「美術」というものの変質と衰弱を、目の当たりにもした。
ちょうどその長き連載も終わろうとする頃。それと入れ替わるようなタイミングで、アートスペース貘から
ブログでも何か書いて見ないか、と誘われたのが1年前のこと。貘の「期待」に応えられているかどうかはわからないが、これまで僕の好きなように綴らせてもらっている。またこの「美術折々」を、時おり読んで頂いて
いる方がいるらしいことも、未知の励みになっているのかもしれない。
それにしても、どうだろう。時代の閉塞感は繰り返し語られるけれど、本当にそうであるのなら、私たちはそんな時代に「non」と言うべきではないか。私たちのまっとうな生存を脅かしてやまないこの世界は、少数の富者や超エリートたちが、そうではない人間を虫けらのように扱い、非情なほどに踏みにじり、伸し上がっていると
いうのに。
かつてマルクスの描いた「原初的蓄積」(『資本論 第一巻 下』)の〈原風景〉は、その悲惨をいっそう高度に、巧妙に、あるいはむき出しの暴力を見えない快感にくるんで、現在においてさえもそれ以上に〈荒野〉そのもののごとく私たちの眼の前に広がっているのではないのか。
たかがといわれるかも知れないが、僕にとっては美術も芸術も、どのような荒野にあっても、何びとたりとも、決して犯すことのできないものとしての、「抗う力」を身に着けたものでありたいと常々思っている。
このささやかな孤塁のようなブログも、そのようなものとしてあるようにと。