元村正信の美術折々/2015-03-28 のバックアップ(No.1)


美術折々_07

 

Where have all the flowers gone?

 
桜の花咲く季節に、多少ともこの国に暮らしたことのある人なら、淡い色に染まった野山や、ざわめく街角
にも訪れた春とともにそこで味わう悦びや苦みを、誰しも少なからず知っていることだろう。

そして満開の桜を愛でる人の波もまた、花の数に負けてはいない。
毎年花見客で賑わう舞鶴公園、福岡城跡のはずれ、東側の石垣下。旧平和台球場跡裏に
ひっそりと建つのが、福岡市の鴻臚館跡展示館である。

この展示館は1995年、ちょうど今から20年前にできている。
建物の南東に広がるだだっぴろい敷地を囲むように土手が残っているのだが、かつてはその土手に沿って
大きな桜の並木があり、桜の頃になると僕は毎年ひとりここへ来て、ひんやりとした花冷えの土手に
腰をおろし、その下のテニスコート(これも今はない)に散りゆく花びらを眺めていたものだ。

この光景は、鴻臚館跡展示館ができる前、つまり20年以上前のことである。
でもなぜ、それと同時にあの大きな桜の並木はことごとく引き抜かれねばならなかったのだろうか。
開発と遺跡発掘は、同じ硬貨の両面だと、ある専門家に教えられたことがある。

花の美しさというものに、異を称える人はおそらくいないだろう。
だが風景の変貌とは、ある日突然おとずれるものである。満開の桜とて例外ではない。

 もろともに我をも具して散りね花
 憂き世を厭ふ心ある身ぞ       西行

これは 「私も、この世を嫌に思っている。だから花よ、私を連れて一緒に散ってくれないか」 という
意味の歌らしいが、
ここには歌人西行の、時代に対する違和、そして生と死への、壮絶な覚醒が込められてはいないだろうか。
 
かつてピーター・ポール&マリーがカバーした『花はどこへ行った』という歌の最後に、
「いつになったらわかるのだろう」というフレーズがあるが、「憎悪の連鎖」を安易に嫌悪し批判する
私たちに、一体、わかる、という日がいつか来るのだろうか、とも思う。
 
満開の桜が、いともたやすく喪われてしまわない、そんな春であるように。