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アートスペース走り書き_07
この現実を歪めてゆくものたち
休館・中止・延期・休廊そして外出自粛要請。そうやってさまざまなアートがいま、閉鎖された空間と化している。私たちからすれば、それらの空間を経験できないでいるということだ。もちろんネットでこそ可能な試みも数多いが、じかに体験することと当然異なるのは言うまでもない。
でもいま、数の論理に経済化にすっかり慣れ親しんでしまったアートもまた、数に縛られている現在なので
ある。だから私たちも、アートとの接触を「最低7割、極力8割」減らすことができれば、あれほど社会とのつながりを重視してきたポリシーもやっと実現できるというものだ。「つながる」とは、社会に貢献できるかどうかということなのだから。余りにも可視化し過ぎたから、アートも公然とこうやって自粛を協力を強いられている訳である。
それでも芸術は、今もきっとどこかでだれかが開かれた「場所」を提示し続けていることだろう。そしてそれを密かに見たり体験している人もいるに違いない。だから知れ渡っていないということは、じつは大事なことなのである。
地上の出来事はそのほとんどが分かりやすいが、いつだって本当のことは隠されているから。
「目に見えない」とうことは、良くも悪くも見えないふかいところで事態は進行しているということだ。
しかも制作は思考は、途切れなく続いている。芸術もまた、つねに潜在的に進行していることを忘れてはならない。
かつて岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言ったが、僕からすると「芸術は不発弾だ」と言いたい。
つねに、ある破壊力を秘めていながら、動機を内在化させたまま潜在する力としての芸術。
だから「芸術は爆発しない」。つねなる沈黙によってそのふかさとつよさによって、
この現実を歪めてゆくのだ。
(元村正信)